ネコたちの通過儀礼

むかし、アメリカインディアンの話を読んだことがあった。 それは大まかにこんな話だ。 子どもは成長すると、旅に出る。あるサボテンの花を探しに行くのだという。そして、長い時間をかけて花を探し当て、持ち帰って初めて部族の一員として迎えらる・・・。 …

ネコのソーシャルディスタンス

密にならないというのは人間ばかりではなかった。 いや、ネコは人間以上に心得ているのかもしれない。 今日(7月22日)のコロナ感染者は、東京237人、大阪121人、神奈川68人、埼玉62人、福岡61人などで、全国では747人となっている。 今日…

九州の雨

ネコたちの食事風景 それにしても、よく降る。 一年分の雨の半分の量がここ一週間で降った、とラジオが言っていた。 今回、前半の雨は人吉・球磨地方が中心だった。雨を降らせる雲は西から東へと移動する。つまり、東シナ海で発生した積乱雲は、まず天草にか…

37回目の環境会議

久しぶりに青空が見えた今日、苓北へ行ってきた。 例年なら道路わきに3か所(両面)、JAの支所に3か所、Aコープにひとつ、会場の外と内にひとつづつと決まっているのだが、今年は道路わきに一か所と会場となる事務所に一つだけの何とも寂しいものになった…

塩の道

天草町大江で塩づくりをしていたまっちゃんが亡くなった。B型肝炎だったと聞いた。今日、連れ合いのめぐみちゃんから手紙と塩が届いた。 まっちゃんが天草に来たのは1990年の秋だった。翌年の春、半年遅れで、ぼくたち家族は天草に来た。最初に出会った…

昼寝て、夜寝て・・・

苓北のてっちゃんが来た。 環境会議が近くなったのと、ぼくのお見舞いを兼ねてだという。 そう、ぼくは4月に10日、5月に2週間入院して手術を受けた。 寝ている子猫たちを見ていたら、酔ったてっちゃんが口にする言葉を思い出した。 「昼寝て 夜寝て 朝…

満月 5月2020

暗くなり始めた空に月が上った。 少し赤みを帯びた、不気味な月だ。 今年の春は小さな異変が目についた。 まず、ウグイスの鳴き始めが遅かった。 例年なら四月中旬には現れるヤモリがまだ見えない。それから、ムカデが異常に多い。 細かく見ていけばもっとあ…

ネコの品格

生命はまっすぐだ 生命は次第に輝きを増す つよく つよく まだ生まれて三か月にも満たないのに どうよ この品格だ われわれ人間は 考え直した方がいい 何を大事にすべきか どう生きることが 命に対して正直な生き方なのかを

新緑

もう10年になるだろうか。 弁護士の市川さんが北海道から来た。路木ダム裁判のためだった。 裁判は、熊本地裁では勝ったが、福岡高裁では負けた。 その市川さんが来たのも4月だった。市川さんは、新緑の古江岳を見て言った。 「ブロッコリーのようだ」 そ…

ミッケの子ども、その後

ごらんのとおり、4匹の子どもたち。動きも活発になってきた。 普段ぼくが作業場にしているところもすっかり占拠された感じだ。 それにしても、ゾンビが跋扈するこの暗い春にあって、癒しであり、希望でもある。

ミッケの子ども

生後40日といったところだろうか。 ミッケの子どもが春の日差しに誘われて表に出てきた。 子猫たちには、この世界はどんな風に見えているのだろうか。

39回目の頌徳祭

毎年、春分の日は「頌徳祭」ということになっている。今年が39回目だという。 それにしても、39回目とは、ものすごい数字だ。30代の前半だった青年が70歳を超える。ぼくらが天草に引っ越してから参加した数も28回となる。 松本豊秋さんの、苓北火…

春なのに

どうもおかしい。 前に「ウグイスが鳴かない」と書いたが、その後のことだ。鳴き声は聞こえてはきた。しかし、たどたどしく、2,3回でやめてしまう。雨が降っているわけでも、風が強いわけでもないのに、だ。 東京では異例の早さで桜の開花宣言をだした。 …

ウグイスが鳴かない

例年とちがった春が訪れようとしている。 桜の開花予想は例年にも増して早く、タラは、いつものように芽吹いているが、今年はまだ、ウグイスの声を聞かない。 コロナの騒々しさにかき消されてしまったのか。 歌を忘れたカナリヤのように、歌を忘れてしまった…

春霞

むかし、東京近辺にいたころ、 「田舎はどちらですか?」と聞かれることがあった。 ぼくの場合、できるだけ言いたくないという妙な心理が働くものだから、 「西の方です」なんて答えていた。 「西というと関西の方ですか?それとも、もっと西ですか?」 「も…

火鉢のある生活

昨日から今日にかけて寒い。 明日も寒い、と予報が出た。 表現者としての教師 教師は表現者であらねばならない。 これは長年教師をやり続けてきたカミさんを見ていて思うことだ。 教師が生徒へ伝えるものは教科の知識だけではない。知識に命を吹き込み、それ…

テッポウスミレ

今年になって初めて見つけた路傍の花。 名前を付ければ、「テッポウスミレ」か。 さて、一月の後半は、結構ハードだった。 はじめて大腸検査というものをやる羽目になった。「ポリープがあれば切り取りますから」と言われていた。そして大腸の中にゴニョゴニ…

はいり込みネコ

ここらの人は、どこからともなくやってきて、いつの間にかいついてしまうネコのことを「はいりこみネコ」と言っている。最近、この黒猫が加わった。まだ若いオスのように見える。 今日の夕方、暗くなってからのことだ。家には、少なくても4匹のタヌキが毎晩…

サザナミウタコ

サザナミウタコ:歌う海の妖精。 今日は天気もいいし、海では、サザナミウタコさんが歌っていますよ。きっとそうですね。今日は何の歌でしょうかね。わたしは、人魚姫の歌が聴きたいな。それもいいですけど、ちょっと悲しすぎませんか。それじゃ、オムライス…

夏の思い出

あんたは原始人みたいね半ズボンに上半身 裸いつもサンダル履き出かけるときだけだぶだぶのシャツを着てお風呂は週に一回シャンプーは月に一度そして散髪は春と秋の二回顔は洗わない あなたは言うの髪を洗うとき 眉まで洗う髭をそるとき 鼻の下まで洗うそん…

ぼくの読書遍歴2

さて、小学校3年生になった。 1・2年生は、担任は水野先生だったことは書いた。3年生は、野崎先生というまだ若い男の先生だ。この先生の言葉でも憶えているものがある。「みんな、風呂に入った時に体はどうやって洗っている?例えば、この腕だけど、こう…

クルマが変わった

最初に車を買ったのは、埼玉にいたころで、川越街道沿いの車の修理屋さんだった。35年くらい前のことだ。軽のワゴン車で、当時、8万円だったと記憶している。それ以来、何度も車は変わったが、どれもワゴンタイプだった。今回初めて乗用車タイプになった。理…

フガの生涯

フガとは風雅のことだ。しかし、現在の天草でフガと言えば、変人というくらいの意味でしかない。今日の食い物をどうしようかと思案しているのに、月を愛で、梢で囀る小鳥を愛でる人は、フガでしかない。千年の月日は、風雅をフガに変えてしまった。 彼は、地…

ミッケ

この三毛猫、この秋くらいから顔を見せるようになった。 腹がすいたと玄関先でミヤァミヤァ鳴く。チビスケの残したものや残飯など、なんでも食べる。顔は、写真のとおり、あまり可愛くはない。ぼくは「ミッケ」と呼ぶことにした。問題は、人見知り、ネコ見知…

ぼくの読書遍歴

ぼくの読書始めといったら、小学校1年生にまでさかのぼる。水野先生という、当時30代後半くらいの女性教師が担任だった。 彼女は教科の合間に、よく本を読んでくれた。そして、そのほとんどは推理小説だった。多かったのが、江戸川乱歩。ぼくは、話の続き…

ドシ(友達)ということ

天草で、ぼくの父親世代は、友達のことをドシという。ちなみに父は、大正11年の生まれだ。今生きていたら、97歳ということになるが、12年前に亡くなった。 父親の口から幾度となく「ドシ」という言葉を聞いた。聞くうちに、ドシの語源は「同志」ではな…

お祝い月間

今日は、カミさんの誕生日だ。 で、この前の18日が、ぼくの誕生日だった。生まれた年は、1951年と同じ。カミさんは、基本、東京育ちだ。基本、と書いたが説明すると結構ややこしい。 カミさんの父親のノブヨシさんは、山梨の生まれだ。ノブヨシさんは…

母親のこと

母は昭和2年、鹿児島県枕崎の生まれだ。名前は、スミという。名前のとおり、末っ子だ。戸籍上の誕生日は3月28日だが、10歳上の姉が言うには、お前が生まれた日には雪が降っていた、のだと。当時はそんなものだったのかもしれない。生まれてからひと月、ふた…

何を歌おう

何を歌おう収奪され 抑圧されて貧困と絶望の中で死んでいくものたちの慟哭の歌か 派遣や有期雇用の言葉が生まれ生産性が叫ばれ 成果がすべてだといわれいつしか労働が喜びでなくなった労働哀歌か 基礎研究はないがしろにされ明日の夢より今日の金と文系さえ…

病院のベッドの上で

11月1日から『大陶磁器展』が始まり、ぼくは会場ロビーで幾人かの手作り作家の人たちと竹トンボやその他もろもろを販売することにしていた。 今年は前々から嫌な予感がしていた。 秋以降、いまだ何とか一人暮らしを続けている92歳の母親が急速に体力を…