2019-01-01から1年間の記事一覧

ぼくの読書遍歴2

さて、小学校3年生になった。 1・2年生は、担任は水野先生だったことは書いた。3年生は、野崎先生というまだ若い男の先生だ。この先生の言葉でも憶えているものがある。「みんな、風呂に入った時に体はどうやって洗っている?例えば、この腕だけど、こう…

クルマが変わった

最初に車を買ったのは、埼玉にいたころで、川越街道沿いの車の修理屋さんだった。35年くらい前のことだ。軽のワゴン車で、当時、8万円だったと記憶している。それ以来、何度も車は変わったが、どれもワゴンタイプだった。今回初めて乗用車タイプになった。理…

フガの生涯

フガとは風雅のことだ。しかし、現在の天草でフガと言えば、変人というくらいの意味でしかない。今日の食い物をどうしようかと思案しているのに、月を愛で、梢で囀る小鳥を愛でる人は、フガでしかない。千年の月日は、風雅をフガに変えてしまった。 彼は、地…

ミッケ

この三毛猫、この秋くらいから顔を見せるようになった。 腹がすいたと玄関先でミヤァミヤァ鳴く。チビスケの残したものや残飯など、なんでも食べる。顔は、写真のとおり、あまり可愛くはない。ぼくは「ミッケ」と呼ぶことにした。問題は、人見知り、ネコ見知…

ぼくの読書遍歴

ぼくの読書始めといったら、小学校1年生にまでさかのぼる。水野先生という、当時30代後半くらいの女性教師が担任だった。 彼女は教科の合間に、よく本を読んでくれた。そして、そのほとんどは推理小説だった。多かったのが、江戸川乱歩。ぼくは、話の続き…

ドシ(友達)ということ

天草で、ぼくの父親世代は、友達のことをドシという。ちなみに父は、大正11年の生まれだ。今生きていたら、97歳ということになるが、12年前に亡くなった。 父親の口から幾度となく「ドシ」という言葉を聞いた。聞くうちに、ドシの語源は「同志」ではな…

お祝い月間

今日は、カミさんの誕生日だ。 で、この前の18日が、ぼくの誕生日だった。生まれた年は、1951年と同じ。カミさんは、基本、東京育ちだ。基本、と書いたが説明すると結構ややこしい。 カミさんの父親のノブヨシさんは、山梨の生まれだ。ノブヨシさんは…

母親のこと

母は昭和2年、鹿児島県枕崎の生まれだ。名前は、スミという。名前のとおり、末っ子だ。戸籍上の誕生日は3月28日だが、10歳上の姉が言うには、お前が生まれた日には雪が降っていた、のだと。当時はそんなものだったのかもしれない。生まれてからひと月、ふた…

何を歌おう

何を歌おう収奪され 抑圧されて貧困と絶望の中で死んでいくものたちの慟哭の歌か 派遣や有期雇用の言葉が生まれ生産性が叫ばれ 成果がすべてだといわれいつしか労働が喜びでなくなった労働哀歌か 基礎研究はないがしろにされ明日の夢より今日の金と文系さえ…

病院のベッドの上で

11月1日から『大陶磁器展』が始まり、ぼくは会場ロビーで幾人かの手作り作家の人たちと竹トンボやその他もろもろを販売することにしていた。 今年は前々から嫌な予感がしていた。 秋以降、いまだ何とか一人暮らしを続けている92歳の母親が急速に体力を…

災害列島

むかし、中学生の時だ。憲法の勉強をした。 夏休みの宿題が、憲法の全文をノートに書き写すことだった。憲法の中に「軍隊はこれを保持しない」とあった。ちょっと待て、自衛隊は軍隊じゃないのか?素朴に疑問に思った。 そのあとにぼくが思ったのは、自衛隊…

台風被害

台風19号がまた関東を襲う。 千葉の被災地がまたまた被害に合う。 今日、空気がヒンヤリとしてきた。これは、大陸の高気圧が勢力を強めている証だ。台風は東寄りに進路をとるだろう。12日土曜日が関東襲来の時となるだろう。台風の進路の右側にあたる伊豆…

ぼくの吃音

ぼくは吃音だった。普通にしゃべっているときはまだいいが、あらたまった場ではもろに出た。最初の音が出てこないのだ。そんなぼくが、中学の3年間を通して「級長」だったのだ。一番困ったのは、学校あげての防災訓練のときだ。サイレンが鳴る。生徒は校庭に…

知の系統樹

中学生のとき、はじめて「進化の系統樹」の図を見た。 海の中で生まれた命が、何億年という時の中で分化し、さまざまな種に枝分かれしていくというあの図。中学生のぼくには、なぜか感動的でさえあった。 中学の頃、ぼくは学校の校門を出るとまったく勉強し…

島原幻想

霧に浮かぶ島原と雲仙普賢岳。 その普賢岳は今から30年前に爆発した。山頂付近に溶岩があふれ、盛り上がり、ある時溶岩の塊が山腹を流れ下った。火砕流と言われるものだ。消防団の人や市民、それに火山研究者の方も亡くなった。 ぼくたちが天草に引っ越した…

不安定ということ

8月17日、東京で暮らす娘が、調査旅行のはじめにまず、我が家に来た。 4泊して、先日、島原へ行く娘を鬼池港まで送っていった。鬼池と島原・口之津の所要時間は、約30分だ。両港を同時に立ったフェリーはほぼ中間点ですれちがう。娘は10時45分発のフ…

八月に

八月になった。 今日は、74回目の広島原爆の日。 このあと、長崎原爆の日が来て、15日の敗戦の日と続く。 しかし、ぼくの中ではここで終らない。 1979年9月9日、当時住んでいた埼玉県で、一人の在日少年がマンションから飛び降りて自殺した。間も…

バンカラということ

先日、車の運転中に、吉田拓郎、詩・曲の「わがよき友よ」が浮かんできた。 かまやつひろしが歌っていることが多かったとも思う。 ♪下駄を鳴らしてヤツがくる 腰に手ぬぐいぶら下げて 学生服にしみ込んだ 男の匂いがやってくる 以下はバンカラについてのぼく…

第36回天草環境会議

環境会議がカウントダウン段階になった。 ぼくは先週の末から苓北へ通って、回数と日付の書き換えをしている。 結構数が多いのだ。道路端に三か所、これは二枚を組み合わせて立てる。建物の壁につける横型のものが三枚。 Aコープに一枚。会場入り口の看板と…

蛾の重さ

夕べ、どこからともなく蛾が舞い降りてきた。 蛾は、羽を震わせている。なにかを必死で訴えているようでもある。 なんだろう?なにを伝えようとしているのだろう? そういえば、以前書いた虫の詩があったな、と思った。 詩集『見えないところで』より 遊ぼう…

野草の名前

たとえば、タンポポはなぜ、タンポポというのですか?と聞かれても困ってしまうでしょう。では、オオバコは?ユキノシタは? 6月も半ばを過ぎたこの時期、咲いている野の花はそれほど多くはありません。 そこで、この花です。2年前に家の下の道端から採って…

クワガタムシのばか力

水が入った洗面器にクワガタムシがはまって出れないでいた。 この洗面器、包丁を研いだり、ナイフを研いだりするために常時水が張ってある。 ぼくは、人差し指をクワガタムシのお腹のあたりに差し入れて、そっと持ち上げた。 その瞬間、クワガタの角が、ぼく…

石書き 再び

以前に書いた石書きを出してみた。 これを書いたのは、7,8年前だろう。市内の小松原にいたころだ。石を拾ったのは、新和町の海岸。 一度だけ五和町の陶芸家の庭先で展示販売したことがあった。そうそう、その時、ダルマと一緒に豚を飼いながら彫刻もやる…

フリフリ音頭

夏には選挙があります。 夏はまた、盆踊りでもあります。 今年の夏はこれでいきましょうか。 フリフリ音頭 あぁ、フリ、フリ、フリ、フリ で、で、できないじゃすまされぬ暮らしをまもる人権と平和をまもるフリだ、フリだ人はフリにだまされるそれ、フリ、フ…

楽しいことを考えよう

11月の大陶磁器展への出展締め切りが、明日10日に迫った。 応募用紙には作品の写真添付の欄があって、今日、この写真を撮ったところです。 それにしても、と思います。 朝がくるのが待ちどうしくて、わくわくして起きたことが何回あっただろう、と思いま…

虫の季節

5月になった。 命輝く新緑の季節だが、すでに虫に二回刺された。 最初は右手の小指の先。外で作業するために手袋をつけた。ヤツは手袋の中の小指の先にいた。多分、蟻だと思うが姿は確認していない。見る間に右手の甲がグローブのようになった。それは夕方ま…

雲母

岩石の種類の一つで「雲母」というのをご存じだろうか。 薄い層が積み重なって、一つの岩石を作っているものだ。 その薄い層の一枚には、10年、100年が凝縮される。それは、100万、1000万の命であるのかもしれない。 わたしたちは、人とは何か、と問い続けて…

イチミサンザン

なに、今日の夕方いつものスーパーでの買い物です。 今夜の夕食のカレーのルーとカミさんのためのヨーグルトとビスケットを買ってレジに行ったら、1333円です、といわれ、おもわず「イチミサンザン」ですか、と言ってしまったのでした。レジのおばさんはポカ…

タヌキ食堂、その後

食堂にやってくるタヌキは四匹とばかり思っていた。 ところがいつの間にか増えて、少し前から六匹になっている。 タヌキは、家族で行動するのだと聞いたことがある。一回り小さなタヌキは、子どもなのだろう。 六匹もいたんじゃ、これまでの量では足りないだ…

ヤモリ見参

今日、ヤモリが現れた。 朝の気温は10℃以下だが、日中は20℃近くになる。 ヤモリにとっての長い夜が明けた。 では、ヒトにとっての長い夜はいつ明けるのだろう。 もう、100年も200年も私たちは明けることのない夜の中にいるように思える。 光の中へとヒトが出…