40回目の頌徳祭

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満開の桜と頌徳碑

 

今年が40回ということは、第1回は1981年ということだろう。

娘が生まれたのが、1978年。それから一年くらい経ったころだったか、当時住んでいた埼玉の公団住宅で、天草の苓北火電建設反対運動の中心だった松本豊秋さんのハンスト中の死を伝える朝日新聞の記事を見た。その時に思った。もし、将来、天草に帰ることがあったら何かぼくにできることをしたい、と。

天草に帰ることになったのは、それから10年の後だった。

娘は小学校を卒業して、中学生になる時で、下の息子は小学2年生。以来、30年が経とうとしている。

「40回頌徳祭やってて、桜が咲いたんは初めてじょん」と哲ちゃんが言う。

彼らのほとんどが40年前には30歳になったばかりのころだ。

毎回熊本から参加する中島クンは、そのころに結婚した。結婚式は、団結小屋。

「何が大変だったといって、みんなが注いでくれる盃を飲み干すのが一番大変だったよ。参加者が50人からいるんだから」

 

時は流れた。静かに、このうえなく濃密に。