ぼくの読書遍歴2

 

 さて、小学校3年生になった。
 1・2年生は、担任は水野先生だったことは書いた。3年生は、野崎先生というまだ若い男の先生だ。この先生の言葉でも憶えているものがある。
「みんな、風呂に入った時に体はどうやって洗っている?例えば、この腕だけど、こうしてグジャグジャ洗っていないか?違うんだなあ。垢、というのは下から上へ重なっているんだ。ちょうど魚のウロコみたいに、な。魚のウロコをとる時、尻尾から頭へ向かってこさぐだろう。それと同じで、腕も足も下から上へこする」
 
 小学3年生の出来事について書いておくことがある。
 算数の時間、野崎先生がある問題を出した。文章題のような問題だったと思う。ぼくの隣りの席には勉強が得意ではない女の子がいた。考えあぐねたぼくは、チラと女の子の答案を見た。そこには、12-8=4と書かれていた。なぜか、これがヒントになった。結果、正解したのはクラスの中でぼくだけだった。野崎先生にはえらくほめられた。それから60年が過ぎようとしている今、正直に書いておく。
そんなことがあったからか、野崎先生は、どう見てもそれはないだろうというような通知表をつけた。ぼくの音楽の成績が評価5だったのだ。ぼくは音痴なのだ。声帯の発達がいびつなのか、声帯そのものの筋肉が未発達なのか、と思う。普通に5段階評価をすれば、いいとこ3、妥当は2だろう。

それから、3年生では習字はほとんど書かなかった。それは、こういう考えが浮かんだからだ。
「きれいな字は、書こうと思えばいつでも書けるじゃないか」
つまり、今思えば、習字から書道への移行期を自ら失してしまったのだった。


さて、読書はどうだったか。江戸川乱歩をほぼ読み終えたぼくは、推理小説つながりでコナン・ドイルへ取り掛かろうとしていた。