知の系統樹

中学生のとき、はじめて「進化の系統樹」の図を見た。

海の中で生まれた命が、何億年という時の中で分化し、さまざまな種に枝分かれしていくというあの図。中学生のぼくには、なぜか感動的でさえあった。

中学の頃、ぼくは学校の校門を出るとまったく勉強しなかった。勉強は学校で、と決めていた。その理由はこうだ。

教室でみんな同じ授業を受けている。それで中間試験や期末試験がある。家へ帰ってから勉強することは、カンニングしているのと同じじゃないか。試験は授業をどこまで理解したかを試すものだろう。家での勉強は、クラスの共通の土台を壊してしまう。そう考えていた。

そのかわり授業には集中した。教師の話を一言も聞き漏らすまいとノートもとらずに聞いた。授業が終わると、顔は上気して火照っていた。

そんなぼくが「進化の系統樹」と出会ったのだ。

そのうちに「知の系統樹」という漠然としたイメージがわいてきた。ぼくたちは成長する。成長するにつれ、さまざまな知識を得る。今は国語や数学や理科、社会といったものだが、もっともっといろんな知識を得るだろう。そして、一人一人が自分だけの知の系統樹を作るのだ。

なんとなく階段を一段上った気がした。

で、話は飛躍するが、高校受験の時、ぼくは学生服の胸ポケットに鉛筆を三本さして出かけた。消しゴムは持たない。参考書も、もちろん教科書も持たない。

こうして15歳のぼくは、高校生になった。

 

写真は家の庭に咲いた彼岸花

日当たりが悪いので心配していたが、なんとか彼岸に間に合った。

 

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