不安定ということ

8月17日、東京で暮らす娘が、調査旅行のはじめにまず、我が家に来た。

4泊して、先日、島原へ行く娘を鬼池港まで送っていった。鬼池と島原・口之津の所要時間は、約30分だ。両港を同時に立ったフェリーはほぼ中間点ですれちがう。娘は10時45分発のフェリーに乗るということだった。この写真は11時過ぎ、上島の志柿あたりで撮ったもの。鬼池口之津双方から出たフェリーが、有明海の洋上で出会おうとしている。

 

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八月の半ばころから天気が不安定になった。晴れているかと思うと雨が降り出す。

それとともに、日中は暑いものの、朝夕の気温が下がった。朝起きだした娘はさかんにクシャミをしていた。これが8月18日の朝のこと。

不安定になったのは、天気ばかりではない。

日本と韓国の関係がぎくしゃくし、限りなく不安定になった。呼応するようにテレビなどのマスメディアは、嫌韓を煽る。完全な洗脳だ。結果、内閣支持率が50%を超えたと報道する。一体、だれが責任をとるのか。先の戦争のように今回もまた、だれも責任をとらずに済ますつもりか。はっきりさせよう。この責任の一切は安倍内閣にある。

 

ぼくは少し前から、アベのことをゾンビだと思ってきた。いいやアベだけではない。アソウもニカイもコウノもイナダも、ゾンビにほかならない。つまりはゾンビ内閣なのだ。彼らの目的は、知性などとは対極にある情念の泥沼に日本人と言われる人たちを引きずり込むことだ。

 

 そんな内閣はつぶせばいいではないか。ところがそう簡単にはいかない。

戦後74年が経った。ぼくは1951年、昭和26年の生まれだが、まさに戦後教育の真っただ中にいた。平成の時代の天皇が皇太子だったころ、美智子との結婚式は日本中のテレビで放映された。小学1年か2年だったぼくは、町で数少ないテレビで見た記憶がある。その後、中学2年の時に島に橋が架かった。いわゆる天草五橋と呼ばれるものだ。橋の開通式は、秋だった。ここに白バイに先導された昭和天皇が来た。ぼくらは学校で日の丸の小旗を作った。

「赤い丸は半紙の真ん中でなく、少しだけ前に描くように」と教師は言った。「なぜなら日本という国が少しでも前進するようにと願いを込めるからだ」

 

彼らは周到に準備し、実行した。そして、もう大丈夫だと言わんばかりに最近では露骨になった。来年のオリンピックを経て、積年の夢だった憲法改正へと突き進むだろう。

こんな情勢の中、立憲の枝野は、反ゾンビとして結集するのではなく、自衛隊、安保、天皇制で共産党とは大きな違いがある、とのたまう。

 

8月最後の今日も天気は不安定で外はまた、雨が降り出した。