生産性ということ

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17夜の不思議な月

昨日は一日冷たい雨が降っていた。

雨は、夕方には止み、夜遅くには雲の中に月が現れた。

 

改めて「生産性」なるものを思い出している。

杉田水脈や植松被告を持ち出すまでもなく、生産性ということは、日本人の中に深く根付いているのかもしれない。

ここ天草では、「フガ」と呼ばれる人たちがいる。初めてこの言葉を聞いた時、「フガ」とは、風雅からきた言葉だなと思った。そして、千年の年月は、風雅を「フガ」に変えてしまった。ここでは「フガ人」、「フガモン」といったら生業に精を出さない変わり者の意だ。

 

 夕方、近所のスーパーに買い物に行った。その際、カミさんの弁当箱に入れて、ちょっとしたおかずや漬物を入れるためのカップが少なくなっていたのを思い出して買った。おそらくこのことが呼び水となって思い出したのだろう。

 帰り道、フガの弁当の話を思い出し、フガのことを思い出した。

 

    フガのこと

 

 彼は、地域の人からフガ、またはフガ人と呼ばれた。当時、たこ焼き屋をしていたおれのところに来ては、いつも大声で話していた。12歳年上だった。

 元長野県知事田中康夫氏が天草に来たことがあった。路木ダムの反対運動をしていた仲間のだれかが渡りをつけたのだろう。公民館での集会で、田中氏は言った。

「地域を変えていくのは、よそ者と若者と、それからバカ者です」

おれはバカ者というところでフガのことを思った。

 

 そう思ったことを思い出した。

 先週の日曜日の葬式から一週間が立った。雨が降り始めた。

 

 フガは1939年に生まれた。生きていたら2020年の今年、80歳になっていたはずだ。

 家は、基本、農家だがその傍らで酒を商っていたときいた。しかし、フガのじいさんは酒を売るよりも自分で飲んでしまう方が多かったとも言っていた。フガには、じいさんが囲炉裏に座って酒を飲んでいる光景しか記憶がない。フガはいつも、うまそうに酒を飲んでいるじいさんを見ていた。

フガが10歳になったとき、じいさんが盃を持ってきた。地元の焼き物屋に頼んでつくってもらったもので、フガのマイ盃だった。

 フガはそれ以来、酒を飲み続けた。70歳になるまでだから60年飲み続けたことになる。しかし、フガは70歳のとき、糖尿病と診断された。酒を断って病院通いが続いた。

                                         フガは、現在72歳だ。しかし、この2年のあいだにフガの糖尿病は奇跡的に改善した。昨年の12月の検査でもほぼ正常値に戻っていた。実際、この1月の半ばに会った時も、糖尿病から生還したのだと大声で自慢していた。

 1月21日の土曜日の夜におれの携帯電話が鳴った。フガからだった。具合が悪いのだという。胃になにかがつっかえたようで食べ物が通らない。おれは明日、行く、と伝えた。

 

 フガはベッドに寝ていた。いかにも、しんどそうだった。短い時間、話をした。フガはやりかけの仕事のことを気にしていた。フガの紹介でおれたち家族がほぼ8年間住んだ家の改修工事をやっていたのだ。この家は、貧乏なおれたちのためのフガの口入れもあって、家賃は、年額2万円だった。あと2,3日で終わるんだがと言った。どうもその仕事の締めくくりをおれに頼みたい口ぶりにも聞こえた。

 入院した方がいいと思うけど。おれはそういって、別れた。

 水曜日の午後、もう一度フガの家を訪ねた。家の明かりは消えてひっそりしている。てっきり入院したものだと思っていた。フガの娘は看護士だ。地域の病院に勤めていて、両親と一緒に暮らしている。なにか異変があれば娘がまず気付くだろう。

 

木曜日の夕方、その娘から電話があった。父が今日亡くなりました。おれはあわててとんで行った。