手杓子山(テシャクシヤマ)



ここへ来るといつも地名について考える。
昭和31年、雲仙国立公園に天草が加わって「雲仙天草国立公園」となった。その後、山の名前が変わる。
どこかの高名な学者が来て、「千巌山」と名付けた。
ではその前はどう呼ばれていたか。「手杓子山(テシャクシヤマ)」と呼ばれていた。

自分の盃に自分で酒を注ぐことを手杓という。
およそ400年前、この地では大規模な一揆があった。「島原・天草の乱」とも呼ばれる。島原と天草のキリシタン農民を中心に双方が相呼応して立ち上がった。
一揆軍の総大将が天草四郎時貞一揆を前に主だった幾人かはこの山に登り、海の向こうの島原を見ながら各々が手杓で酒を注いだとされる。
このときから山は「手杓子山」と呼ばれるようになった。



7月15日はいろんなことがあった。
安保法案が採決され、衆議院本会議へ送られた。
伊方原発の再稼働が認可された。
それから、娘のニーナがアメリカから帰った。