誕生月のころ


<自分のこと>


まもなく誕生日が来る。
そして、この時期、いつも憂鬱になる。それは、歳とともに加速しているようにも感じる。

高校生のころ、ぼくは乞食になろうと思っていた。
それとともに、何者にもならないと決めていた。
教師にも銀行員にも、裁判官にも医者にも、もちろん公務員にもならない。

そのころ読んだ室生犀星の詩に影響を受けていた。
『小景異情』というその詩は、

   故郷は
   遠くにありて思うもの
   そして悲しくうたうもの
   たとえ異土の乞食(かたい)となるとても
   帰るところにあるまじや
   ・・・

とあった(記憶のまま)。

天草で生まれ育った17歳のぼくは、水晶の結晶のようにも純粋だった。
「異土の乞食(かたい)」という言葉が鮮烈だった。
そうだ。ぼくは、乞食になろう、と思った。

洋画専門の映画館でジェームス・ディーンの『エデンの東』や『理由なき反抗』を見た。

半面、傲慢でもあった。
人間がやっていることで、おれにできないことはない、と思っていた。
「彼も人なり。我も人なり」。そう考えていた。

その前、中学生のぼくは、よく本をよんだ。
いや、読むことからすれば小学生の1,2年生のころがもっと読んだかもしれない。
江戸川乱歩の全集本を読んでいた。
「分かっているんでしょうか」と、後ろで教師の声がするのを覚えている。そりゃそうだ。みんなが絵本や童話を眺めているのに、鼻水をすすりながら江戸川乱歩のハードカバーの本を開いているんだから。

その後、コナン・ドイルへと進んだ。

こんな少年だったから、中学3年時の高校受験は、学生服の胸ポケットに鉛筆を3本さして出かけた。消しゴムは持たない。もちろん参考書も教科書も持たない。
「間違った答えを書くことはないから消しゴムはいらない」
多分、引率の教師にもそう説明したように思う。
なんという傲慢。しかし、傲慢もここまでくれば、かえって潔くはないか。
これが50年前だ。

で、どうなったか。
何者にもならないことは、その通りになった。
乞食には、まだなっていない。
まもなく64歳の誕生日になる。