塩屋20周年記念「塩祭り」

ぼくらも天草に来て20年になる。
「プーリー」というインドカレーの店があった。彼とは、そこで初めて会った。
絵を描いてくれませんか、といわれた。天草での塩づくりの場所が決まったので、地域の人に説明をする。それには絵があった方がイメージしやすいからと。
彼は、地形を説明した。
「えっと、東シナ海に面していて、右も左も小さな山になっていて、一応、入り江にはなっているけど、天草西海岸特有のごつごつした岩だらけの入り江です。
構造物としては、タワー式かネット式か、まだ、迷っているので両方を描いてください」
こんなふうに始まった。
ぼくは模造紙を買ってきて、描いた。
「そうだ。この通りです。現場も見ないでよく描けますね」
偶然が重なったのだろう。以来、水盤のコンクリート打ちやネットを支える間伐材の組み上げと付き合った。


その彼が、今日、みんなの前でしゃべった。
「えっと、20年間、塩屋を支えていただきまして、ありがとうございます」


「あんたの友達にはどうしてこう恥ずかしがりやで口下手な人ばっかりいるんだろう。でも、みんな、生きて来たんだよね。この20年を。わたし、涙が出てくる」


カミさんの感想だ。