桜のつぼみが膨らんだ2


わたしは都会で瞑想の場所を探した。しかし、都会はどこも人であふれている。わたしはたった一つ、夜の公園を見つけた。人気のない夜の公園で、私はやっと一人になれた。
公園の端に砂場があり、その砂場を覆うようにコンクリート製の藤棚があった。わたしは藤棚をよじ登って、瞑想の場所とした。
藤棚のそばには、さらに藤棚を覆うようにケヤキの木がある。ケヤキの外側には金網のフェンスが、道路に沿って公園を囲んでいる。わたしは何度か通ううちに、フェンスを乗り越えてケヤキに移り、それから藤棚に飛び降りた。帰りは逆のコースで、藤棚、ケヤキ、フェンス、そして道路と降りた。近道だったのでそうしたのだが、これがいけなかった。いつしか、公園の藤棚の上にオバケが出るという噂が広まった。噂は回りまわってわたしの耳にも届いた。
オバケは、深夜、突然現れる。そして、山の方を向いてじっと動かない。時々かすかなため息をつくようだ。よほどこの世に深い怨念があるらしい。オバケは、やがて現れた時と同じように忽然と姿を消す。公園には、昼間でさえ人が近づかなくなった。一方で、オバケを一目見たいという物好きな人間もいて、ケヤキの後ろのフェンスには明け方まで人が張り付いているのだ。
とても瞑想どころではなくなった。わたしは瞑想を打ち切らざるをえなくなった。
このことがあって以来、わたしは瞑想というかたちで私と向き合ったことはない。この後、二十年近くの間、瞑想なしで生きてきたのだ。「なに者にもならない」という決意には、骨格が必要だというのに。

わたしは建設中のビルの脇を通り過ぎる。
その先には、インドカレーの店と焼き鳥屋がある。昼を過ぎたばかりだというのに、焼き鳥屋はもう忙しく煙を出している。バタバタとうちわをあおいで焼き鳥を焼いているのは息子の方だ。以前に、息子は焼き鳥屋の二階を改装して、喫茶店を始めたことがあった。「看板、お願いします」というので、わたしが看板を作ることになった。
ところが店の名前がなかなか決まらない。息子は「喫茶アザミ」はどうかと言う。脇で親父が、アザミは野の花で確かにいい名前だが、わしらの年輩のものは「アザミの歌」を連想してしまう。「アザミの歌」というのは知らないかもしれないが悲しい歌なのだ。親父はそういって「アザミの歌」を低く歌いだした。
息子はわかった、というように手で制した。親父は、腰の手拭いを引き上げて涙を拭いている。息子が私に目くばせした。このやり取りはもう幾度も繰り返されたことのようだった。息子は第三者の私に同意してほしいのだ。わたしが「喫茶アザミ」に同意すれば親父はしぶしぶ納得するだろう。わたしは息子を無視した。
店の名前を付けるのに大した理由はない。恋人の名前であったり、子供の名前であったり、死んだおふくろの名前であったりする。あるいは、占いの偶然であるかもしれない。
「レンゲはどう?」とわたしが言うと、
「かわいすぎる」と息子がすかさず言った。腕組みした親父は、
「仏様の匂いがする」と天井を見ながらつぶやいた。
結局、店の名前は「アシタバ」ということになった。前の年に大島に旅行した息子が、アシタバの苗をもらってきていて、鉢植えにしてあった。
「店中にアシタバの鉢を置こう。そして、アシタバ茶を出そう」
息子は上機嫌だった。
「喫茶アシタバ」は、しかし、あまりはやらなかった。わたしは二、三度行ったが、客はいつもまばらだった。この店はいつやっているのか分からないとささやかれていた。開店の時間はまちまちだったし、息子の都合で店は不定期に休みになった。親父の援助もあって、何とか一年は続けたが、それ以上は無理だった。
結局、「喫茶アシタバ」は閉店し、息子は焼き鳥屋に精を出すことになった。これでよかったのかもしれない。息子は実に器用にレバーに串を刺し、四本を一緒に指にはさんでひっくり返す、忍者の手裏剣投げのような技を身につけた。
わたしは片手をあげて息子にあいさつした。
目の前の足場から降りてきたのはトオル君だ。
「お久しぶりです」
トオル君は屈託がない。トオル君はペンキだらけの「仕事ズボン」にTシャツ姿だ。天気がいいとはいってもまだ三月だ。
「朝からこの上で仕事してましたから」
トオル君は胸の前で人差し指を立てた。指には緑色のペンキが付いている。
「若いなあ」
わたしはトオル君のがっしりとした肩を見ながら言った。トオル君の肩から首にかけてむんむんと湯気が立ち上っているようだ。
「二十四になりました」
「ぼくは三十九になった」
わたしは意味のないことを言う。
「まだ若いじゃないですか」
トオル君は優しいのだ。時間を遅らせてこれからお昼を食べに行くのだという。
「混んでるとまずいですから」
そう言ってトオル君は、自分のペンキだらけのズボンを指さした。
トオル君の笑顔は美しい。こんな笑顔にずいぶん長い間会っていないと思う。
そうだ。ずっと、ずっと昔のスケヤンの笑顔に似ている。

スケヤンとわたしは生意気な高校生だった。いやいや、あの頃生意気だったのはもっとたくさんいた。ヒロシもフクジュウロウもガンジも、みんな生意気だった。そして、生意気であることを誇りに思っていた。誰もが、わたしとは何か、という問題と格闘していた。
スケヤンとは表紙に「THINK,THOUGHT,THOUGHT」と書いた共通のノートを作っていた。そして、このノートを交換して「考える会」と名前を付けた。
ある時スケヤンが、二人だけでは寂しいから誰か人を入れようと言い出した。できれば女の子がいいな、とスケヤンは言った。
わたしは教室にノートを持っていき、思いを寄せていた女の子に考える会に入らないかと誘った。自分でも驚くくらいに言葉がスラスラ出た。なにしろ、恋人になってくれないか、というよりはるかに言いやすかったのだから。
彼女に考えることについて説明した。難しいことではない。休みの日なんかに歩きながら考える。考える中身は何でもいいのだ。一人が考えたことを受けて、ほかの人が考える。それを受けてまた、考える。そうして考えながらずんずん歩く。引き返すのは腹が減ったり、暗くなったりしてからだ。同じ道を帰るのだから、当然同じ時間がかかる。こうして最初の出発点に帰り着くころには、月が空高く輝いているなあ。君が行くんだったら弁当持っていってもいいし……。

彼女は不思議なものを見るように、ノートとわたしを交互に見た。それから、
「あんたたち、そんな暇があったらどうして勉強しないの」と言ったのだ。
わたしの片思いは彼女のこの一言で終わりになった。
「女はだめだ」とスケヤンも言った。「勉強ばかりで、考えることをしない」
ヒロシは写真部にいて、ヌード写真を撮ることに夢中になっていたし、フクジュウロウは演劇部で忙しかった。ガンジは、腰に目覚まし時計を下げてグラウンドを走っていた。
ガンジの目覚まし時計は五時にセットしてあって、五時になるとグラウンド中に目覚ましのベルが鳴り響いた。するとガンジはぴたりとはしるのをやめて、
「帰ります」と、顧問の先生や先輩たちに頭を下げる。ガンジは保育園に妹をむかえに行くのだった。
スケヤンとわたしはやはり二人きりだった。考える会は卒業まで続いた。スケヤンは最後に別れるとき、
「おれはこのまま考えることを続ける。ノートを書き続けるからいつか読んでくれ」と言って、にっこり笑った。
それから二年が経って、スケヤンから厚い封筒が届いた。ノートが三冊入っていた。
ノートにはもっと勉強したいこと、旅行したいこと、そのあと実際に旅行したこと、恋人らしい女性ができたこと、なんとなく自分の進むべき道が見えてきたことなどが書かれていた。多分それは、建築とか設計とか土木といった分野になるだろうとあった。スケヤンの息づかいが聞こえてきそうだった。最後に、君からの返事を待つとあった。
わたしは公園での「オバケ事件」以来、瞑想することを中断していた。わたしのノートは一冊目から進んでいない。以来、二十年になる。
わたしはこの間にミドリの父親となり、そのミドリが瞑想を始める年ごろとなった。わたしは考える会のメンバーとして、スケヤンに二十年間の報告をしなければならない。
いま、わたしは何者でもない。これから先も、何者にもならないだろう。

庭でミドリは水仙を見ていた。透明な黄色の水仙が今朝開いたのだ。水仙の前にしゃがんだミドリがわたしを見た。
「お父さん、桜はまだかなあ」
桜はあと十日もすれば咲くだろう。紅色のつぼみは、もうはちきれそうに大きくなっている。
「田舎ではもう咲いてるね」
ミドリは笑った。トオル君やスケヤンの笑顔に似ている。
瞑想の岩は、山桜におおわれているだろう。あるいはもう、刻まれた名前を白い花びらが隠しているかもしれない。ミドリに瞑想の岩のことを伝えねばならない。
「夏休みになったら田舎へ行こうか」
小さな風が吹いて、水仙の花びらが揺れた。
「うん」
ミドリは顔いっぱいに笑顔を浮かべた。