天草環境会議30年


30年という歳月は長い。よちよち歩きの子どもが、お父さん、お母さんになって自分の子どもの手を引いている。当時30代の若者が、60代の老人になっている。が、しかし、彼らのだれ一人として老人になった自覚はもっていない。
おそらく彼らは、自身の内側の、深いところにその後の一年一年を刻んできたのだろう。だから、彼らはいつでも30年の間を自由に行き来することができる。


星空野外パーティ。写真は東京の一橋大学


熊本学園大学は、いつも底抜けに明るい。



 30年は、検証の時でもある。
 苓北火力発電所は、海面を埋め立てて造られる。埋め立てるための土を、九州電力は、隣接する山から採る予定でいた。しかし、山の持ち主の強硬な反対に会うことになった。
この当時、1970年代の後半、苓北町は推進派と反対派に二分されていた。九電は「採土地」の現地調達をあきらめ、長崎から海路、土を運んで埋め立てた。

 この鉄塔が立つのは、九電が「採土」」をあきらめた山の、反対側の斜面だ。
 山の反対側を買収した九電は、そこに最初の鉄塔を建てた。写真のように人家の真上だ。春から夏の南風、冬の北風に送電線は吠える。加えて電磁波の影響をもろに受けるだろう。家の住人は次々に「鬱」を発症して治療中だと、今日聞いた。


もう一つ、石炭灰の問題がある。写真は苓北火電南側の灰置き場を視察する参加者。



これは石炭灰を使って造成中の「避難所」の現場。このすぐ近くには、やはり石炭灰を使った宅地が造成され、売り出された。「財の尾ビレッジ」という名前で売りだされたが、大半は売れ残ったままだ。
石炭灰は、バリウムストロンチウムをはじめ、銅や亜鉛、鉛などの多種類の重金属を含む。


でも、60代の若者もやがていなくなる。
どうだ、新しい世代につなぐことはできたか?
それが試されるのは次回、31回目の環境会議からだろう。