筋肉痛


 昨日、苓北の哲ちゃんのビニールハウスの張り替えの手伝いをした。かまぼこ型のハウスは約70メートルの長さがあり、それが3つ連なっている。昨日は一日、ビニールを張る前の、かまぼこ型ハウスの鉄筋の上にいた。このところ、細かい手作業ばかりで、徹底して運動不足でもある。今朝から太ももの筋肉が痛い。

 それで、以前書いたものを読み返していた。



      桜のつぼみが膨らんだ


 「わたしと何か」。子どもが、殻を破って大人になろうとするときに必ずぶつかる問題である。
わたしとは何か。新しい子どもたちが現れ、成長していく中で、この問題は出口のない迷路のように子どもたちを悩ませる。
 わたしも例外なく悩んだ。いっそ、「お前は蛙の子だよ」と言ってもらえたら。お前はあの神社の裏の池で生まれたのだ。悩むことはない。なんせ、お前は蛙の子なんだから。
 あぁ、本当にそう言ってもらえたら。…… しかし、だれに?

 
 娘のミドリは十二歳になった。そろそろこの問題が、おぼろげな形をとりつつあるようだ。活発な子どもだったミドリが、一人でぼんやりしていることが多くなった。その横顔は寂しそうにも、不安そうにも見える。わたしが顔を出すと、かすかに笑って振り向く。何も言わない。
 わたしは、「やあ」とだけ言って、顔を引っ込める。
 わたしはミドリの前に顔を出したことを後悔する。せめて、わたしの顔がネコのぬいぐるみのようだったら、と思う。ミドリが遠くを流れる雲や雲を運ぶ風のことや命や宇宙についてのふんわりとやわらかい空想の世界にいるときに、どうして直接の父親であるわたしの顔を見なければならないだろう。
 わたしは足音を忍ばせて階段を降りる。そして、そっと靴を履いて街へ出かける。

 土曜日の午後、三月の光は明るい。ミドリはこの明るさを感じているだろうか。十二回目の春は、ミドリの心に何を芽吹かせるだろうか。
 
 わたしは三十九回目の春を迎える。ミドリは十二回目だ。わたしの頭は勝手に引き算を始めて、二十七という答えを出す。馬鹿な頭だ。二十七という数字にどんな意味があるというのだ。問題なのは、わたしの十二とミドリの十二とに共通項があるかどうかだ。

 わたしが命や宇宙についてぼんやり空想しているころ、わたしは海と山とその上を流れる雲を見ていた。そして、集落を見下ろす場所の、大きな岩の上で思う存分一人でいることができた。
 その岩は「瞑想の岩」と名付けてもよいように思われた。なぜなら、その岩にはびっしりと名前が彫り付けてあった。名前の半分はローマ字だった。
 ここにはたくさんの少年たちが来たのだ。そして、夢のような空想が、現実の中でくっきりと形を作るようになると、成長した少年たちは自分の名前を岩に彫り付けて、この場所を後にした。
 わたしが知っている名前もあった。「SABURO」「EISUKE」「YOSINORI」……。当時のわたしにとって、それらの名前は遠い伝説のヒーローのように思えた。
 そこにはまた、「孫一」や「重臣」の文字もあった。わたしの祖父の世代だ。ローマ字表記と漢字表記の間には、戦争があった。ローマ字は、やはり、戦後のものだろう。
 父の世代は、戦争の世代だった。十八歳で徴兵された父が、再びここへ帰ったのは二十五歳だった。父は自分の名前を彫り付ける機会を逃した。
 わたしはずいぶん後になってこのことを知った。父は目に涙を浮かべて、この村で大人になれなかったことを話してくれた。


 父は飛行機の整備兵だった。最初から整備兵だったのではなく、教育期間五週間という猛スピードで飛行機についての知識を叩き込まれた。そして、整備兵として中国大陸へ行った。
 その父の瞑想の場所は、飛行機の格納庫の屋根だった。夕方に夕食までの短い空き時間がある。その時間を待って、父は格納庫の屋根に上った。瞑想は一人にならねばならない。
「あそこで一人になれるのは、便所と屋根の上くらいしかなかったもんなあ」
 便所は閉ざされた空間で、瞑想には不向きだ。瞑想は、広い空間を必要とする。父は毎日のように格納庫の屋根に上った。いつしか、父には「考える猿」というあだ名がついた。
 そんなある日、決定的な出来事が起こった。いつものように屋根の上でボーっとしていた父は、はるかかなたの山の上にゴマ粒のような数個の黒い点を見つけた。それが飛行機と分かるまでは長くはかからなかった。静かな夕方の空に音もなく現れた飛行機の編隊は、まっすぐに父を目指して近づいてきた。耳慣れないエンジン音が聞こえた。屋根の上で父は中腰になって叫んだ。叫んだというより、ただ、ワアワア喚いとっただけだったが、と父は言った。兵舎からバラバラと人が出てきた。彼らは飛行機の編隊を見つけると、
「早く降りろぉ。狙い撃ちにされるぞぉ」と叫んだ。サイレンが鳴った。父は中腰のまま、金縛りに合ったように動けなかった。
 先頭の一機がひらりと翼をひるがえすと低空で侵入してきた。両翼から白い煙が流れた。機銃弾が、父がまたいでいた両方の屋根を吹き飛ばした。耳がキンキン鳴った。その飛行機は信じられないスピードで反転すると、再び父の正面にいた。
 父は立ち上がった。
「やっと恐怖を超えたんだなあ」
 父は、遠くを見る目つきで感慨深げに言った。
近づいてくる飛行機が初めてはっきりと見えた。操縦士が、「オッ」というように口を丸くした。父は目に人差し指をあてると、アカンベーをしたのだ。操縦士は頭を振りながら、父の頭上を飛び去って行った。
このことがあって以来、父は瞑想を打ち切った。もう、格納庫の屋根に上ることはなかった。
「残念だったのは」と父は言った。「瞑想の岩にTAKESHIという自分の名前を彫ることができなかったことだ」。


父の瞑想体験から60年を隔てて、わたしがいる。ミドリと父の瞑想体験は何年隔たっているのか。わたしの頭は、父の生まれた年を思い出して西暦に換算する。続いて、ミドリの生年月日を拾い出した。それから、わたしの生まれた年。そこでストップだ。やはりバカな頭だ。紙と鉛筆を求めている。頭を叩きながら横断歩道を渡った。

この街は今、ビルの建設ラッシュだ。横断歩道を渡って、駅までのたかだか二〇〇メートルほどの間に、この一年で完成したビルが四つ、建設中のものが二つある。ほとんどがテナントビルで、喫茶店、美容室、塾、それとブティックと称される高級婦人服を売る店などが、ビルの完成と同時に看板を掲げる。
 看板自体は、最近の傾向として小さく、高級志向になっている。白と黒とグレイを基調にして色彩を抑えるのが特徴的だ。ただ、塾と保険屋さんだけは変わらない。ビルの窓一面に会社の名前を切り抜いた赤や緑のシールを貼り付けている。

わたしとは何か、との問いに、わたしは看板屋だとすましていた。二十五年前に瞑想の岩で、海と流れる雲に向かって誓ったことをあっさり忘れていた。
わたしは何者にもならない、と誓ったのだ。
「わたしとなにか」という根源的な問いかけに対しては、どんな現実的な答えも満足させない。とりあえず、現実的な何者にもなるまいと決めたのだ。
しかし、わたしは瞑想の岩でその考えを熟成させることができなかった。高校へ行くために瞑想の岩と別れねばならなかったし、高校を卒業すると都会へ出ていった。
都会で、わたしは宙ぶらりんだった。やり残した瞑想が、頭の片隅に消化されないまま残っていた。何者にもならないという決意には、丈夫な骨格が必要だった。



 わたしは都会で瞑想の場所を探した。しかし、都会はどこも人であふれている。わたしはたった一つ、夜の公園を見つけた。人気のない夜の公園で、私はやっと一人になれた。
公園の端に砂場があり、その砂場を覆うようにコンクリート製の藤棚があった。わたしは藤棚をよじ登って、瞑想の場所とした。
 藤棚のそばには、さらに藤棚を覆うようにケヤキの木がある。ケヤキの外側には金網のフェンスが、道路に沿って公園を囲んでいる。わたしは何度か通ううちに、フェンスを乗り越えてケヤキに移り、それから藤棚に飛び降りた。帰りは逆のコースで、藤棚、ケヤキ、フェンス、そして道路と降りた。近道だったのでそうしたのだが、これがいけなかった。いつしか、公園の藤棚の上にオバケが出るという噂が広まった。噂は回りまわってわたしの耳にも届いた。

 オバケは、深夜、突然現れる。そして、山の方を向いてじっと動かない。時々かすかなため息をつくようだ。よほどこの世に深い怨念があるらしい。オバケは、やがて現れた時と同じように忽然と姿を消す。公園には、昼間でさえ人が近づかなくなった。一方で、オバケを一目見たいという物好きな人間もいて、ケヤキの後ろのフェンスには明け方まで人が張り付いているのだ。
 とても瞑想どころではなくなった。わたしは瞑想を打ち切らざるをえなくなった。
 このことがあって以来、わたしは瞑想というかたちで私と向き合ったことはない。この後、二十年近くの間、瞑想なしで生きてきたのだ。「なに者にもならない」という決意には、骨格が必要だというのに。

 わたしは建設中のビルの脇を通り過ぎる。
 その先には、インドカレーの店と焼き鳥屋がある。昼を過ぎたばかりだというのに、焼き鳥屋はもう忙しく煙を出している。バタバタとうちわをあおいで焼き鳥を焼いているのは息子の方だ。以前に、息子は焼き鳥屋の二階を改装して、喫茶店を始めたことがあった。「看板、お願いします」というので、わたしが看板を作ることになった。
 ところが店の名前がなかなか決まらない。息子は「喫茶アザミ」はどうかと言う。脇で親父が、アザミは野の花で確かにいい名前だが、わしらの年輩のものは「アザミの歌」を連想してしまう。「アザミの歌」というのは知らないかもしれないが悲しい歌なのだ。親父はそういって「アザミの歌」を低く歌いだした。
 息子はわかった、というように手で制した。親父は、腰の手拭いを引き上げて涙を拭いている。息子が私に目くばせした。このやり取りはもう幾度も繰り返されたことのようだった。息子は第三者の私に同意してほしいのだ。わたしが「喫茶アザミ」に同意すれば親父はしぶしぶ納得するだろう。わたしは息子を無視した。
 
 店の名前を付けるのに対した理由はない。恋人の名前であったり、子供の名前であったり、死んだおふくろの名前であったりする。あるいは、占いの偶然であるかもしれない。
「レンゲはどう?」とわたしが言うと、
「かわいすぎる」と息子がすかさず言った。腕組みした親父は、
「仏様の匂いがする」と天井を見ながらつぶやいた。
 結局、店の名前は「アシタバ」ということになった。前の年に大島に旅行した息子が、アシタバの苗をもらってきていて、鉢植えにしてあった。
「店中にアシタバの鉢を置こう。そして、アシタバ茶を出そう」
 息子は上機嫌だった。
「喫茶アシタバ」は、しかし、あまりはやらなかった。わたしは二、三度行ったが、客はいつもまばらだった。この店はいつやっているのか分からないとささやかれていた。開店の時間はまちまちだったし、息子の都合で店は不定期に休みになった。親父の援助もあって、何とか一年は続けたが、それ以上は無理だった。
 結局、「喫茶アシタバ」は閉店し、息子は焼き鳥屋に精を出すことになった。これでよかったのかもしれない。息子は実に器用にレバーに串を刺し、四本を一緒に指にはさんでひっくり返す、忍者の手裏剣投げのような技を身につけた。
 わたしは片手をあげて息子にあいさつした。


 目の前の建設中のビルの足場から降りてきたのはトオル君だ。
「お久しぶりです」
 トオル君は屈託がない。トオル君はペンキだらけの「仕事ズボン」にTシャツ姿だ。天気がいいとはいってもまだ三月だ。
「朝からこの上で仕事してましたから」
トオル君は胸の前で人差し指を立てた。指には緑色のペンキが付いている。
「若いなあ」
 わたしはトオル君のがっしりとした肩を見ながら言った。トオル君の肩から首にかけてむんむんと湯気が立ち上っているようだ。
「二十四になりました」
「ぼくは三十九になった」
 わたしは意味のないことを言う。
「まだ若いじゃないですか」
 トオル君は優しいのだ。時間を遅らせてこれからお昼を食べに行くのだという。
「混んでるとまずいですから」
 そう言ってトオル君は、自分のペンキだらけのズボンを指さした。
トオル君の笑顔は美しい。こんな笑顔にずいぶん長い間会っていないと思う。
 そうだ。ずっと、ずっと昔のスケヤンの笑顔に似ている。


 スケヤンとわたしは生意気な高校生だった。いやいや、あの頃生意気だったのはもっとたくさんいた。ヒロシもフクジュウロウもガンジも、みんな生意気だった。そして、生意気であることを誇りに思っていた。誰もが、わたしとは何か、という問題と格闘していた。
 スケヤンとは表紙に「THINK,THOUGHT,THOUGHT」と書いた共通のノートを作っていた。そして、このノートを交換して「考える会」と名前を付けた。
ある時スケヤンが、二人だけでは寂しいから誰か人を入れようと言い出した。できれば女の子がいいな、とスケヤンは言った。
 わたしは教室にノートを持っていき、思いを寄せていた女の子に考える会に入らないかと誘った。自分でも驚くくらいに言葉がスラスラ出た。なにしろ、恋人になってくれないか、というよりはるかに言いやすかったのだから。
彼女に考えることについて説明した。難しいことではない。休みの日なんかに歩きながら考える。考える中身は何でもいいのだ。一人が考えたことを受けて、ほかの人が考える。それを受けてまた、考える。そうして考えながらずんずん歩く。引き返すのは腹が減ったり、暗くなったりしてからだ。同じ道を帰るのだから、当然同じ時間がかかる。こうして最初の出発点に帰り着くころには、月が空高く輝いているなあ。君が行くんだったら弁当持っていってもいいし……。

 彼女は不思議なものを見るように、ノートとわたしを交互に見た。それから、
「あんたたち、そんな暇があったらどうして勉強しないの」と言ったのだ。
 わたしの片思いは彼女のこの一言で終わりになった。
「女はだめだ」とスケヤンも言った。「勉強ばかりで、考えることをしない」
 ヒロシは写真部にいて、ヌード写真を撮ることに夢中になっていたし、フクジュウロウは演劇部で忙しかった。ガンジは、腰に目覚まし時計を下げてグラウンドを走っていた。
 ガンジの目覚まし時計は五時にセットしてあって、五時になるとグラウンド中に目覚ましのベルが鳴り響いた。するとガンジはぴたりとはしるのをやめて、「帰ります」と、顧問の先生や先輩たちに頭を下げる。ガンジは保育園に妹をむかえに行くのだった。

 スケヤンとわたしはやはり二人きりだった。考える会は卒業まで続いた。スケヤンは最後に別れるとき、
「おれはこのまま考えることを続ける。ノートを書き続けるからいつか読んでくれ」と言って、にっこり笑った。
それから二年が経って、スケヤンから厚い封筒が届いた。ノートが三冊入っていた。
 ノートにはもっと勉強したいこと、旅行したいこと、そのあと実際に旅行したこと、恋人らしい女性ができたこと、なんとなく自分の進むべき道が見えてきたことなどが書かれていた。多分それは、建築とか設計とか土木といった分野になるだろうとあった。スケヤンの息づかいが聞こえてきそうだった。最後に、君からの返事を待つとあった。
 わたしは公園での「オバケ事件」以来、瞑想することを中断していた。わたしのノートは一冊目から進んでいない。以来、二十年になる。
 わたしはこの間にミドリの父親となり、そのミドリが瞑想を始める年ごろとなった。わたしは考える会のメンバーとして、スケヤンに二十年間の報告をしなければならない。
 いま、わたしは何者でもない。これから先も、何者にもならないだろう。


 庭でミドリは水仙を見ていた。透明な黄色の水仙が今朝開いたのだ。水仙の前にしゃがんだミドリがわたしを見た。
「お父さん、桜はまだかなあ」
 桜はあと十日もすれば咲くだろう。紅色のつぼみは、もうはちきれそうに大きくなっている。
「田舎ではもう咲いてるね」
ミドリは笑った。トオル君やスケヤンの笑顔に似ている。
 瞑想の岩は、山桜におおわれているだろう。あるいはもう、刻まれた名前を白い花びらが隠しているかもしれない。ミドリに瞑想の岩のことを伝えねばならない。
「夏休みになったら田舎へ行こうか」
 小さな風が吹いて、水仙の花びらが揺れた。
「うん」
 ミドリは顔いっぱいに笑顔を浮かべた。