桜のつぼみが膨らんだ


引っ越し荷物を片づけていたら、天草へ引っ越してくる前に、埼玉で書いていた原稿が出てきた。多分、25年くらい前になるか。
読み返してみたらそれなりに面白いじゃないか。

二回に分けて掲載します。


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     桜のつぼみが膨らんだ



 「わたしとなにか」、子ども大人になろうとするときに必ずぶつかる問題である。
わたしと何か。新しい子どもたちが現れ、成長していく中で、この問題は出口のない迷路のように子どもたちを悩ませる。
 わたしも例外なく悩んだ。いっそ、「お前は蛙の子だよ」と言ってもらえたら。お前はあの神社の裏の池で生まれたのだ。悩むことはない。なんせ、お前は蛙の子なんだから。
 あぁ、本当にそう言ってもらえたら。…… しかし、だれに?

 
 ミドリは十二歳になった。そろそろこの問題が、おぼろげな形をとりつつあるようだ。活発な子どもだったミドリが、一人でぼんやりしていることが多くなった。その横顔は寂しそうにも、不安そうにも見える。わたしが顔を出すと、かすかに笑って振り向く。何も言わない。
 わたしは、「やあ」とだけ言って、顔を引っ込める。
 わたしはミドリの前に顔を出したことを後悔する。せめて、わたしの顔がネコのぬいぐるみのようだったら、と思う。ミドリが遠くを流れる雲のことや雲を運ぶ風のこと、命や宇宙についてのふんわりとやわらかい空想の世界にいるときに、どうして直接の父親であるわたしの顔を見なければならないだろう。
 わたしは足音を忍ばせて階段を降りる。そして、そっと靴を履いて街へ出かける。
 土曜日の午後、三月の光は明るい。ミドリはこの明るさを感じているだろうか。十二回目の春は、ミドリの心に何を芽吹かせるだろうか。
 
 わたしは三十九回目の春を迎える。ミドリは十二回目だ。わたしの頭は勝手に引き算を始めて、二十七という答えを出す。馬鹿な頭だ。二十七という数字にどんな意味があるというのだ。問題なのは、わたしの十二とミドリの十二とに共通項があるかどうかだ。

 わたしが命や宇宙についてぼんやり空想しているころ、わたしは海と山とその上を流れる雲を見ていた。そして、集落を見下ろす場所の、大きな岩の上で思う存分一人でいることができた。
 その岩は「瞑想の岩」と名付けてもよいように思われた。なぜなら、その岩にはびっしりと名前が彫り付けてあった。名前の半分はローマ字だった。
 ここにはたくさんの少年たちが来たのだ。そして、夢のような空想が、現実の中でくっきりと形を作るようになると、成長した少年たちは自分の名前を岩に彫り付けて、この場所を後にしたのだ。
 わたしが知っている名前もあった。「SABURO」「EISUKE」「YOSINORI」……。当時のわたしにとって、それらの名前は遠い伝説のヒーローのように思えた。
 そこにはまた、「孫一」や「重臣」の文字もあった。わたしの祖父の世代だ。ローマ字表記と漢字表記の間には、戦争があった。ローマ字は、やはり、戦後のものだろう。
 父の世代は、戦争の世代だった。十八歳で徴兵された父が、再びここへ帰ったのは二十五歳だった。父は自分の名前を彫り付ける機会を逃した。
 わたしはずいぶん後になってこのことを知った。父は目に涙を浮かべて、この村で大人になれなかったことを話してくれた。

 父は飛行機の整備兵だった。最初から整備兵だったのではなく、教育期間五週間という猛スピードで飛行機についての知識を叩き込まれた。そして、整備兵として中国大陸へ行った。
 その父の瞑想の場所は、飛行機の格納庫の屋根だった。夕方に夕食までの短い空き時間がある。その時間を待って、父は格納庫の屋根に上った。瞑想は一人にならねばならない。
「あそこで一人になれるのは、便所と屋根の上くらいしかなかったもんなあ」
 便所は閉ざされた空間で、瞑想には不向きだ。瞑想は、広い空間を必要とする。父は毎日のように格納庫の屋根に上った。いつしか、父には「考える猿」というあだ名がついた。
 そんなある日、決定的な出来事が起こった。いつものように屋根の上でボーっとしていた父は、はるかかなたの山の上にゴマ粒のような数個の黒い点を見つけた。それが飛行機と分かるまでは長くはかからなかった。静かな夕方の空に音もなく現れた飛行機の編隊は、まっすぐに父を目指して近づいてきた。耳慣れないエンジン音が聞こえた。屋根の上で父は中腰になって叫んだ。叫んだというより、ただ、ワアワアわめいとっただけだったが、と父は言った。兵舎からパラパラと人が出てきた。彼らは飛行機の編隊を見つけると、
「早く降りろぉ。狙い撃ちにされるぞぉ」と叫んだ。サイレンが鳴った。父は中腰のまま、金縛りに合ったように動けなかった。
 先頭の一機がひらりと翼をひるがえすと低空で侵入してきた。両翼から白い煙が流れた。機銃弾が、父がまたいでいた両方の屋根を吹き飛ばした。耳がキンキン鳴った。その飛行機は信じられないスピードで反転すると、再び父の正面にいた。
 父は立ち上がった。
「やっと恐怖を超えたんだなあ」
 父は、遠くを見る目つきで感慨深げに言った。
近づいてくる飛行機が初めてはっきりと見えた。操縦士が、「オッ」というように口を丸くした。父は目に人差し指をあてると、アカンベーをしたのだ。操縦士は頭を振りながら、父の頭上を飛び去って行った。
このことがあって以来、父は瞑想を打ち切った。もう、格納庫の屋根に上ることはなかった。
「残念だったのは」と父は言った。「瞑想の岩に名前を掘ることができなかったことだ」

父の瞑想体験から60年を隔てて、わたしがいる。ミドリと父の瞑想体験は何年隔たっているのか。わたしの頭は、父の生まれた年を思い出して西暦に換算する。続いて、ミドリの生年月日を拾い出した。それから、わたしの生まれた年。そこでストップだ。やはりバカな頭だ。紙と鉛筆を求めている。頭を叩きながら横断歩道を渡った。

この街は、ビルの建設ラッシュだ。横断歩道を渡って、駅までのたかだか二〇〇メートルほどの間に、この一年で完成したビルが四つ、建設中のものが二つある。ほとんどがテナントビルで、喫茶店、美容室、塾、ブティックと称される高級婦人服を売る店などが、ビルの完成と同時に看板を掲げる。
 看板自体は、最近の傾向として小さく、高級志向になっている。白と黒とグレイを基調にして色彩を抑えるのが特徴的だ。ただ、塾と保険屋さんだけは変わらない。ビルの窓一面に会社の名前を切り抜いた赤や緑のシールを貼り付けている。

わたしとは何か、との問いに、わたしは看板屋だとすましていた。二十五年前に瞑想の岩で、海と流れる雲に向かって誓ったことをあっさり忘れていた。
わたしは何者にもならない、と誓ったのだ。
「わたしとなにか」という根源的な問いかけに対しては、どんな現実的な答えも満足させない。とりあえず、現実的な何者にもなるまいと決めたのだ。
しかし、わたしは瞑想の岩でその考えを熟成させることができなかった。高校へ行くために瞑想の岩と別れねばならなかったし、高校を卒業すると都会へ出ていった。

都会で、わたしは宙ぶらりんだった。やり残した瞑想が、頭の片隅に消化されないまま残っていた。何者にもならないという決意には、丈夫な骨格が必要だった。

(つづく)