十日月

月が次第に膨らみ始めると、なぜか見ている方も幸せな気分になる。

明日の午後からは、雨の予報。明後日の午前中にかけて降り続く。

満月を待つ大二の話を思い出した。

2年前の話だ。


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『お月さんの復権



こんばんは。

今夜は満月です。窓の外を見てください。月の光で明るいでしょう。わたしのオヤジなどは、「今夜は月の夜だから提灯はいらない」、などと言っていたものです。ほら、上を見てください。すこうしかすんではいますが、オレンジ色のまん丸のお月さんが見えます。

それで今夜は、お月さんの話をしようと思います。

といいましても、月の引力がどうとか、満ち欠けがどうの、地球の自転がどうのとか、そんな難しい話ではありません。

正直言って、わたしは科学が嫌いです。二言目には客観的や科学的という言葉を持ち出してくる輩も嫌いです。理由はこうです。わたしには、どんなに科学が進んで、いろんな事象がそれなりに解明されたとしても、この世界の全体の姿はついにとらえることはできないと思えるのです。

ギリシャの話に「アキレスは亀に追いつけない」というのがあります。世界で最も速く走れるアキレスが、亀に追いつかないというのです。理由はこうです。アキレスが走る。亀が歩く。アキレスが走る時、亀も歩いている。アキレスが十メートルを走る時、亀は十センチを歩く。アキレスが十センチを走っても、亀は一ミリを歩いている。その差は限りなく縮まりはするが、アキレスが亀を追い越すことはない。

話自体は、いわゆる「詭弁」といわれるものですが、わたしには現代の科学技術がアキレスに、そして、世界が亀に思えます。

月に話を戻しましょう。

日本人が作った最も美しい月の話、それは、かぐや姫が登場する『竹取物語』だとわたしは思います。初めに「お月さん」と言いましたが、日本人はずっと「お月さん」とともに暮らしてきました。単なる「月」ではなく、「お月さん」なのです。

太陰暦という暦をご存知でしょうか。

今でも漁師さんは、太陰暦で毎日を生きています。たとえば、「棒受け網漁」という漁があります。紀州のサンマ漁が有名です。

「棒受け網漁」は、夜の漁です。夜の海に明かりをこうこうと照らして、集まってきた魚を網で獲ります。この漁、月が明るく輝く夜はできません。満月の前後は、海自体が明るくなりますから、集魚灯の効果がなくなるのです。したがって、満月をはさんで四、五日、漁は休みです。

では、休んでいるあいだ何をするか。

満月が山並みの向こうからのぼり、暗くなっていく海に金色の道をつくります。

大二という漁師見習いの青年がいます。大二は、どこか不器用なのです。一つ一つの仕事は何とかこなしているのですが、やっぱり不器用です。たぶん、動作と動作の連関がうまくいっていないのです。

大二は、月の夜が大好きです。

「ああ、また、会えました」

大二は、月に向かって語りかけます。「今日、漁は休みです。それで、お月さんに何を話そうかと一日考えていました」

かって、ニーチェは「自分の頭を踏んで高みへ登る」と表現しました。この言葉からイメージされるのは、ヨガの行者とか修験者、あるいは絶壁に挑戦する登山者の姿です。どれも、たいていの場合、男です。

最近私は、これはどうもちがうな、と思い始めています。

昔から、太陽は男性の象徴として、月は女性の象徴として扱われてきました。たぶんこれが、現代の不幸な混乱を招いた原因だろうとわたしは思います。そして、ニーチェもその呪縛のなかにいた。

で、わたしは現代において、月の復権こそが人類再生のカギを握るのではないかと思っています。

人類は今、危機に直面しています。核の問題です。福島の原発事故は、人類と核は共存できないことを教えてくれます。これは、太陽信仰の破たんです。

人類の長い歴史の中で、エジプト以前から太陽を中心にして、社会や思想をつくってきました。現代においてもそれは変わりません。やっぱり、太陽中心です。太陰暦なんて、現代の日本人のどれだけが必要とし、理解しているでしょう。たとえば、百年が経つと、四世代が交代します。親からいえば、子の、子の、子の時代です。しかし、わたしから見れば、わたしのオヤジの世代はもっと身近に太陰暦を使っていました。

わたしが言いたいのは、わたしたちの命は、太陽と月と同等の質量で満たされているということです。

「梅干しは三日三晩風にさらせ。太陽に三日、月の光に三晩」。

昔からこう言われてきました。今よりもずっと自然とともに生きていたであろう古代人は、太陽の力と同時に、月の持つ力を実感していた。わたしはそう、思います。

余談ですが、最近になって、「男女共同参画社会」なんてものが、行政主導でやられています。わたしにいわせれば、太陽と月との関係を何も理解していない、あるいは理解しようともしないバカ者が、役所の一室で義務的に「仕事」をしているということになります。この会場に関係者の方がいらしたらごめんなさい。

漁師見習いの大二の話に戻ります。

大二は、お月さんにこう語りかけました。

「お月さん、おれはもともと不器用な人間だと思っている。小さいころからどこかぎくしゃくしていた。大きくなって船に乗るようになっても、やっぱりなんか変だと思う。じゃ、どこがどう変なのだと言われてもうまく答えられない。

でも、お月さん、これだけははっきり言える。おれは、お月さんが好きだ。新月から三日月になる時、半月から毎晩少しずつ膨らんでいくとき、どうしてこう、わくわくするんだろう。そうだ、おれは、生きている中で、お月さんを見る他には、わくわくすることが何もない。

この世界はおれには合わない。

やっぱり、そう、思う」

お月さんは金色の光を大二に送り、静かに答えます。

「大二よ、地球と月の半分のところまで、自分の力で昇ってきなさい。そこまで来たら、あとはわたしが引っ張ってあげます」

「地球と月の半分だって。おれは今まで自分の部屋の二階以上には上ったことがないのに」

「思いです、大二」

月はやはり静かに言います。

「この世界の一切のものは、分子からできています。その分子は、原子からできています。さらに原子は素粒子からできています。そして、素粒子は自由です。だから、昇ること、つまり地球の引力から離脱することは、あなたの思いを素粒子の世界へ放つことです。大二よ」

「難しくて、わけが分からない」

「こう考えてみてごらんなさい。あなたから見てわたしは空に浮いているように見えます。これは、地上のあらゆる命の思いが、私を浮かばせているのです。

時間はたっぷりあります。ゆっくり考えなさい。今夜みたいな月の夜をたくさん重ねましょう」

時間をオーバーしてしまいました。

満月を見上げながらお帰りください。

あ、くれぐれも側溝や川には落ちないように。