チリメンが消える日



 天草の海からチリメンが消えそうだ。
 例年だと、四月と五月はチリメン漁師は忙しい。今日、チリメン漁師の友人に電話した。いつもだと船のエンジン音が聞こえてくるはずだが、静かだ。
「どうしたの?海の上じゃないの?」
「それが、おらんとたいな(いないのだよ)」
「まったく?」
「そ、ぜん、ぜん。あんたが言うた通りになった」


 原因はマグロの養殖だ。「拓洋」という水産会社が、不知火海でマグロ養殖を始めた。始めてから六、七年になる。問題は、マグロの餌だ。最初のうちは長崎ナンバーの冷凍トラックを見かけていた。韓国や中国から安いニシンやタラを輸入しているという話だった。
 苓北の漁師の田嶋さんの話。
「マグロはな、動いているものしか食わん。だから、マグロ養殖のイケスにはマシンガンの発射装置のような、ピッチングマシーンのような機械がある。その機械で、えさを一匹づつ水中に放つ」

 ところがいつからか、カタクチイワシの成魚がマグロの餌として使われだした。現地調達が安上がりと判断されたのか。
カタクチイワシは巾着網で獲る。夕方、暗くなり始めたころに沖合に「火舟」と呼ばれる一艘の船が現れ、明かりを灯す。漁が始まるのは、夜12時を過ぎてからだ。「網船」と呼ばれる船が二艘、網を入れながら「火舟」を囲む。網が絞られ、「火船」は網の外へ出る。網はいよいよ絞られ、そこへ巨大な竹かごを積んだ船が現れる。網が傾けられ、カタクチイワシは生きたまま竹かごの中へと移される。
 実は、一昔前まではこの竹かごのカタクチイワシはカツオ漁の餌につかわれた。カツオの一本釣りを思い出してほしい。カツオ漁船は、カツオの群れの中にカタクチイワシを放す。カツオは我を忘れてカタクチイワシを追いかける。このタイミングを見計らってカタクチイワシに似せた疑似針を投げてカツオを釣る。これがカツオの一本釣りだ。
 カツオの群れが黒潮に乗って西日本に接近するのは、四月のころだ。「目に青葉 ・・・」の関東へは五月だ。
 つまり、成魚のカタクチイワシの漁期は限られていた。
 しかし、マグロの餌となると、そうはいかない。巾着網は、年中フル操業だ。
 
 チリメンはカタクチイワシの幼魚だ。ところが、成魚のカタクチイワシをマグロの餌に捕獲する。親が少なくなるから子ども(チリメン)の数は激減する。
 二年ほど前に、友人はたまりかねて管轄の漁協に談判に行った。せめて産卵期のあいだだけでも獲るのを止めてもらえないかと。
 しかし、漁協の代表は、カタクチイワシを獲る巾着網の網元だった。目先のことしか頭にないこの男が、話を理解するはずがない。
 
 こうして今やチリメンは風前の灯火の存在になった。