やるべきか、やらざるべきか



路木ダムブックレットの出版記念会が一週間後になった。
先日、どう進めるかと話し合った。
まず、開会あいさつがある。続いて、乾杯の音頭。執筆者からの一言、参加者からの一言と進む。全体の時間は2時間だ。ここまででおよそ半分の時間が過ぎる。そのあいだには、中島凞八郎さんの総評も入る。
やはり、旧態依然の感は否めない。

さて、問題はそのあとだ。

ぼくの詩を朗読してはどうかと提案があった。
はじめはそうね、と同意したものの、朗読といったらカミさんが読むことになる。
自分で書いた詩なら、自分で読んだらどうだ、といわれるが、ぼくの場合、大勢の前で声を発すること自体、病的にできないのだ。どんなに頑張っても5人までで、それ以上になると「たくさん」となって、ぼくの頭は混乱する。とても朗読どころではない。
おそらく、そこにいるいろんな人の「想い」が、ぼくの中に同時に入ってくるせいかもしれないとも思う。

2,3日のうちには結論を出さないといけない。

朗読はあるのか、ないのか。
あえて、やるのか、やらないのか。

その朗読のための一文。


現代口上かわら版 路木ダムの巻


朗読のために(作者から)

 この詩を書いたのは今から六年前の2008年です。
 


ダムの話

さあさ、聞いてくれ、皆の衆。
路木ダムの話だ。
この路木ダム、知れば知るほど、奇怪なことがでてくる。
次から次へと、奇怪なことは尽きることがない。

路木ダム裁判の担当を引き受けてくれたのは、北海道は札幌の市川弁護士だ。
縁あって弁護士は、はるばる北海道から来た。

市川弁護士はダム予定地をぐるりと回ってこう言った。
「ここは実に貴重なところだ。
宮崎の綾町の照葉樹の森と、四国四万十の川とが一体となって、ここにある。しかも、目の前は羊角湾だ。つまり、森と川と海が自然なつながりで存在する。それも、上流から下流の海まで、わずか六キロというコンパクトさだ。
こんなに貴重なところが今日、日本中を探したとしてどこにあるだろう」
いや、弁護士というよりも、「日本森林生態系保護ネットワーク」の事務局長である市川さんがそう言った。

ところがコンパクトなのは、自然生態系ばかりじゃなかった。
ここには、戦後の日本社会の縮図もまた、コンパクトにあった。

聞いてくれ、皆の衆。
川辺川ダムは中止と決定した。荒瀬ダムは、一転、二転して、ようやく撤去される見通しだ。じゃ、路木ダムはなぜつくる。
そこにあるのは、おそらく、政治と金だ。市議会から県議会へ、県議会から国会へと、票の流れを作った。その流れの逆をたどって、金が下りてくる。

『自主講座・公害原論』の宇井純という名前を聞いたことがおありだろうか。
その宇井純は、天草に幾度も来ている。ある時の講演会で、彼はこう言った。
ウソと無駄な公共工事を策定し、推進した官僚の名前を石に刻め、と。
石に刻んで永遠にその場に置け、と。


山の精霊よ、川の精霊よ、聞いてくれ。
おれは、とうとう、食えなくなった。
家賃を払えば、米が買えない。
電気代を払えば、ガス代が払えない。
職を探しても、中高年の身、おいそれとあるはずもない。
いいや、おればかりじゃない。あっちにも、こっちにもこの小さな島に食えない住民はいっぱいいて、明日をどうしようかと思い悩む。

これが「宝島・天草」の現実だ。

山の精霊よ、川の精霊よ、
こんな島で、何とも恥ずかしい事態が進んでいる。
嘘をいっぱい並べたて、この静かな山あいにダムを造るというのだ。

路木川は、たびたび氾濫して、田畑や人家へ被害をもたらしている。とくに、昭和57年7月の集中豪雨では、路木地区で100棟以上が水につかり、天草を縦断する国道は、9時間にわたって通行止めとなった。

だから、治水のためのダムを造ってほしいと、当時の河浦町長と牛深市長が県に陳情した。平成3年のことだ。
また、陳情書は書く。
牛深地区は慢性的な水不足で、これを解消するため、住民は、ダムの水を待ち望む、と。

このときから嘘が始まった。
嘘は踏襲され、嘘は、さらに増幅される。
嘘はまた、それだけでは幻であるから、骨格を作り、肉付けしなければならない。

熊本県は路木地区の架空の浸水被害をもとに「費用対効果」、B/Cを計算した。
それによれば、路木川の右岸が決壊し、路木地区が浸水被害にあうことになっている。
しかし、だ。
先人たちは、代々、川を治める知恵を継承してきた。
つまり、路木川は、右岸よりも左岸が低くなっている。もしも、川に水があふれると、この左岸から水は田畑へと流れ出す。あふれた水は、下から上へとゆっくり田畑を覆っていく。ここが大事なところだ。上から下ではなく、下から上だ。
あふれた水が濁流となって田畑を押し流すのでない。
やがて、水がひく。
一時的に水につかりはしたが、田畑は、最小の被害でふたたび姿を見せる。

一方で天草市は、水がほしいという住民の声だと、牛深と河浦の区長会を総動員して署名を集めた。
更に念を押すため、婦人会や商工会、地区区長会が、市長や知事に直接陳情する。

奇怪なことはまだある。
水質の問題だ。河浦の簡易水道は、一丁田川の伏流水から取っている。この水質が悪いから、路木ダムから「清浄な水」を取りたいというのだ。
馬鹿なことをいうものじゃない。路木川の水は、確かに清浄だ。しかし、ダムにため込んだ水は、もはや、清浄とはいえない。
川は、流れてはじめて川だ。流れてはじめて清浄なのだ。
荒瀬ダムの撤去を求めて長い間戦ってきた人たちが言っていた。ダムができて何が変わったかというと、まず、コメがまずくなった、と。
米は、水と土で成長する。ダムができて、その水質が変わったのだ。
あらためて言う。
川は、流れてはじめて川だ。そして、流れてはじめて清浄さを保つ。


山の精霊よ、川の精霊よ。
人間はこんなにも愚かで、かなしい。
なにを受け継ぎ、なにを伝えるのか、肝心なところが何も分かっていない。
人が生きるというのは
森の片隅、川のほとり、海の傍らで私も生きさせてくださいということなのに。


(転調)

わしは今年87歳になるが
ずっとこの路木川とともに育った
雨の季節じゃが
どんなに雨が降っても
この路木川が濁ることはなかと
見てみなされ
下流のこの橋から上に人家はなか
山に降った雨は 照葉樹の葉を伝い
山が吸収し
奥深い山の懐を透って
澄んだ水となって路木川に注ぐ

わしらはな ずっとこの川の水で育ってきた
飲み水はもちろん
田んぼの米も 畑の野菜も
一切が路木川じゃった

わしはな
この世の徳目の最上位は
やさしさだと思うのだ
あつく あつく
幾世代にもわたって受け継がれてきたやさしさ
このほかにどんな宝があり得よう

森と川と海とが わしたち人間に与える
あつい あつい やさしさ
決して見返りを求めず
ただただ与え続ける
これ以上の徳目がどこにある
これ以上の宝がどこにある