路木ダム裁判


 路木ダム裁判も最終局面に近づいた。次回が10月2日で、最終結審が11月20日と決まった。
 最終的な争点が明らかになりつつある。費用対効果B/Cの問題だ。公共工事は、基本的に工事にかかる費用(C)が、便益(B)を上まわらないことが前提となる。熊本県が算定した費用対効果は、1・08となってかろうじて1を超えている。
 しかし、次の写真地図を見ていただきたい。熊本県は、意図的に古いゼンリンの地図を使っているのだ。それから、標高も意図的に低く設定している。
 (写真)


 以上は、熊本県が主張する破堤点から水があふれ、洪水として路木集落を襲うと仮定しての話しだ。しかし、ここは破堤しようがない。破堤するとされる右岸は、左岸よりおよそ70センチも高いのだ。破堤する前に水は左岸に流れる。
 長い裁判の過程を経て、争点は最初に戻った。

 

現代口上かわら版 路木ダムの巻(2009年)

 

さあさ、聞いてくれ、皆の衆。
路木ダムの話だ。
この路木ダム、知れば知るほど、奇怪なことがでてくる。
次から次へと、奇怪なことは尽きることがない。


路木ダム裁判の担当をひきうけてくれたのは、北海道は札幌の市川弁護士だ。
その前には、熊本の弁護士に幾人も会った。だが、それぞれ温度差はあっても、言葉を濁してだれも引き受けない。九十九パーセント負けることが予測される裁判に、熊本の弁護士は、誰ひとり手を挙げなかった。
縁あって、弁護士は北海道から来た。
市川弁護士はダム予定地をぐるりと回ってこう言った。
「ここは実に貴重なところだ。
宮崎の綾町の照葉樹の森と四万十の川とが一体となって、ここにある。しかも、目の前は羊角湾だ。つまり、森と川と海が自然なつながりで存在する。それも、上流から下流の海まで、わずか六キロというコンパクトさだ。
こんなに貴重なところが今日、日本中を探したとしてどこにあるだろう」
いや、弁護士というよりも、「日本森林生態系保護ネットワーク」の事務局長である市川さんがそう言った。
ところがコンパクトなのは、自然生態系ばかりじゃなかった。
ここには、戦後の日本社会の縮図もまた、コンパクトにあった。


聞いてくれ、皆の衆。
川辺川ダムは中止と決定した。荒瀬ダムは、一転、二転して、ようやく撤去される見通しだ。じゃ、路木ダムはなぜつくる。
そこにあるのは、おそらく、政治と金だ。市議会から県議会へ、県議会から国会へと、票の流れを作った。その流れの逆をたどって、金が下りてくる。


『自主講座・公害原論』の宇井純という名前を聞いたことがおありだろうか。
その宇井純は、天草に幾度も来ている。ある時の講演会で、彼はこう言った。
ウソと無駄の公共工事を策定し、推進した官僚の名前を石に刻め、と。
石に刻んで永遠にその場へ置け、と。

・・・・・中略・・・・

山の精霊よ、川の精霊よ、
こんな島で、何とも恥ずかしい事態が進んでいる。
嘘をいっぱい並べたて、この静かな山あいにダムを造るというのだ。

路木川は、たびたび氾濫して、田畑や人家へ被害をもたらしている。とくに、昭和57年7月の集中豪雨では、路木地区で100棟以上が水につかり、天草を縦断する国道は、9時間にわたって通行止めとなった。

だから、治水のためのダムを造ってほしいと、当時の河浦町長と牛深市長が県に陳情した。平成3年のことだ。
また、陳情書は書く。
牛深地区は慢性的な水不足で、これを解消するため、住民は、ダムの水を待ち望む、と。

このときから嘘が始まった。
嘘は踏襲され、嘘は、さらに増幅される。
嘘はまた、それだけでは幻であるから、骨格を作り、肉付けしなければならない。


熊本県は路木地区の架空の浸水被害をもとに「費用対効果」、B/Cを計算した。
それによれば、路木川の右岸が決壊し、路木地区が浸水被害にあうことになっている。
しかし、だ。
先人たちは、代々、川を治める知恵を継承してきた。
つまり、路木川は、右岸よりも左岸が低くなっている。もしも、川に水があふれると、この左岸から水は田畑へと流れ出す。あふれた水は、下から上へとゆっくり田畑を覆っていく。ここが大事なところだ。上から下ではなく、下から上だ。
あふれた水が濁流となって田畑を押し流すのでない。
やがて、水がひく。
一時的に水につかりはしたが、田畑は、最小の被害でふたたび姿を見せる。


一方で天草市は、水がほしいという住民の声だと、牛深と河浦の区長会を総動員して署名を集めた。
更に念を押すため、婦人会や商工会、地区区長会が、市長や知事に直接陳情する。


山の精霊よ、川の精霊よ。
人間はこんなにも愚かで、かなしい。
なにを受け継ぎ、なにを伝えるのか、肝心なところが何も分かっていない。


奇怪なことはまだある。
水質の問題だ。河浦の簡易水道は、一町田川の伏流水から取っている。この水質が悪いから、路木ダムからの「清浄な水」を待ち望むと。


馬鹿なことをいうものじゃない。路木川の水は、確かに清浄だ。しかし、ダムに貯め込んだ水は、もはや、清浄とはいえない。
川は、流れてはじめて川だ。流れてはじめて清浄なのだ。
荒瀬ダムの撤去を求めて長い間戦ってきた人たちが言っていた。ダムができて何が変わったかというと、まず、コメがまずくなった、と。
米は、水と土で成長する。ダムができて、その水質が変わったのだ。
あらためて言う。
川は、流れてはじめて川だ。そして、流れてはじめて清浄さを保つ。



路木で育った古老のはなし


わしは今年67歳になるが
ずっとこの路木川とともに育った
雨の季節じゃが
どんなに雨が降っても
この路木川が濁ることはなかと
見てみなされ
下流のこの橋から上に人家はなか
山に降った雨は 照葉樹の葉を伝い
山が吸収し
奥深い山の懐を透って
澄んだ水となって路木川に注ぐ


わしらはな ずっとこの川の水で育ってきた
飲み水はもちろん
田んぼの米も 畑の野菜も
一切が路木川じゃった


わしな
この世の徳目の最上位は
やさしさだと思うがな
あつく あつく
幾世代にもわたって受け継がれてきたやさしさ
このほかにどんな宝があり得よう


川が わしたち人間に与える
あつい あつい やさしさ
決して見返りを求めず
ただただ与え続ける
これ以上の徳目がどこにある
これ以上の宝がどこにある