詩の言葉は予言の言葉か?



今日一日、以前に書いた詩の一節を思い出していた。


   郵便屋さんは
   思い出したように町の便りを運んでくるけど
   悲しい話や くらい話が
   「私たちの家」を覆うことはない


ムーラン・ルージュ』という何気ない詩だ。



ムーラン・ルージュ

こう 言いたかった

きれいな空気と水と

畑からとれる野菜と

すてきな子どもたちと

それから何よりも大好きなあなたと

小さな「わたしたちの家」で暮らしたかった


ムーラン・ルージュ

こう 言いたかった

朝には水汲みに行き

昨日拾っておいた枯れ枝に火をつける

わたしたちの家」のかまどでは

お湯が沸いて

朝食の支度

あなたは 地球上のすべての子どもに行き渡るようにと

今日も早くから 「竹トンボ」をつくる


ムーラン・ルージュ

こう 言いたかった

お昼には両手いっぱいの野菜をかかえて

みんなが待つ お家に帰る

郵便屋さんは

思い出したように町の便りを運んでくるけど

悲しい話や くらい話が

わたしたちの家」を覆うことはない


ムーラン・ルージュ

こう 言いたかった

わたしは夜が好き

夜は暗闇の中

ほんとうに必要なものだけが 浮かび上がる

星たちのささやきが聞こえるひととき

わたしたちの家」では

静かな寝息が聞こえます


ムーラン・ルージュ

そう 言いたかったのです



日付は、ちょうど一年前の5月8日になっている。
今日一日、ぼくは竹とんぼを作っていた。
作りながら思い出していたのは、先の一節だった。


詩の言葉は、やはり、予言の言葉なのか。