トントン・パテルのお話し(全)


     (1)
 
ある日のことです。
トントン・パテルの住む村に大きな地震が起こりました。
パテルは、父さんと母さん、妹と一緒に、ちょうどお昼のご飯を食べていました。最初、お膳の上の茶碗がカタカタと音をたてました。パテルがおやおやと思っていると、ドンという音とともに、茶碗がひっくり返りました。父さんが母さんを、母さんがパテルと妹を覆いました。家はギシギシと大きな音をたてて揺れ、床が生き物のように波打っています。
パテルは、長い時間がたったように思いました。パテルがそろそろと目を開けてみると、父さんはもう立ち上がっていました。
「大丈夫か」
父さんは、母さんに手を貸しながら言いました。

それから二日後、パテルの村では不思議なことが起こりました。
 空から雪のようなやわらかくて白いものが降ってきたのです。やっと夏の暑さが終わり、稲刈りもこれからというころです。
 白いものは三日間降り続けて、家々の屋根も畑も野原もすっかり白く変えてしまいました。パテルの妹のトントン・レミィは、野山を走り回って細い枝の先に、まるで綿菓子のように白いものを巻きつけたものをいくつも作って遊びました。パテルは、それがあまりにおいしそうだったので、一口食べてみましたが、口の中にはいつまでも溶けない繊維のようなものが残りました。
 パテルの父さんは、トントン・ダーバといいます。
「これは困ったことになった」と、家の前の白いものをスコップで運びながら言いました。「雪だったらお日さまに溶けるが、これはどうだ」
 たしかに、何日たっても白いものは溶ける様子はありません。さらに困ったことには、山でがけ崩れがあったらしく、村を流れる川から水がなくなったのです。おそらく、崩れた土砂が上流で川をせき止めてしまったのだと、ダーバたちは話し合っていました。
悪いことはもっと続きました。
 野菜がしおれてきたのです。白いものは野菜に貼りつき、お日さまをさえぎり、洗おうにも水がないのです。
「食べるものも飲む水もないわ」
 母さんのトントン・メイは言いました。
 そんな日がいく日か続いたころです。遠くの町からお役人がやってきました。
「ここはもう駄目だ。村を捨てて新しい土地を探すしかない」
 しゃがれた声で背の高いお役人が言いました。お役人がしゃべるたびに、口から煙のような白いものが出てきます。ちょうど、冬の寒い日に吐く息が白く見えるようです。パテルは不思議な気持ちで、お役人の口元を見ていました。
「新しい土地を探すといったって、いったいどっちへ行ったらいいんだ。あんたは町から来たんだろ?町の様子はどうなっているんだ」
 ダーバはお役人にいました。
「町はひどいもんさ。白いものは人の背丈まで積ってしまった。それにあそこでは白いものが飲み水に混ざってしまった。来る途中で見てきたが、ここはまだいい。地震の後で川の水が止まったんだろう。そうすると、白いものが混じった水は飲んでいないわけだからな」
 相変わらず、しゃがれた声でお役人は言います。
「白いものが混じった水を飲むとどうなるんだ?」
 ダーバは聞きました。
「死ぬ。おそらく、まちがいなく死ぬことになる」
「なんか釈然としない言い方だな。おそらく、ってのは、なんだい」
 ダーバの質問にお役人は、コホン、コホンと咳をして言いました。
「人としては死ぬ。しかし、白いものとしては、あるいは生きるのかもしれない」
「つまり、人としては死ぬが、白いものとして生まれ変わると」
「そこら辺がどうもむず・・・むずかしい」
 お役人は、パテルやダーバが見ている前で、白いものをもくもくと吐き出しました。
「おい、おい。お役人さん。大丈夫か」
 ダーバが声をかけましたが、お役人は見る間に白いものに包まれてしまいました。
 白いものは、お役人の形になり、それから、その形もなくなって、ただ白いものが漂っているばかりです。
 
 
 
      (2)
 
 ダーバは村の人たちを集めました。村に重大な危機が迫っていることは明らかでした。
 ダーバはみんなに向かって言いました。
「町から来たお役人は、目の前で白いものになってしまった。お役人が言っていたように、幸いこの村の者は、まだ、白いものが混ざった水を飲んでいない。今すぐ、村を出よう。どこへ向かうかは分からない。でも、とりあえず、この土地を離れよう、一歩でも遠くへ」
「故郷を捨てるのか」と声がしました。
「そうだ、今は捨てる。だが、いつか必ず帰ってくる」
 ダーバは力強く言いました。
 でも、村を出ることは大変なことです。この白いものがなくなるまでには、おそらく、山をいくつも越えねばなりません。食べ物も、飲み水もたくさんはありません。
それでも村の人たちは、自分の家からありったけの食べ物と水をかついで再び集まってきました。
「あぁ、パテル。わたしたち、どうなるのだろう」
 シンシン・ツツルが、パテルにつぶやきました。
「分からない。ほんとうに、なにも分からない」
 だれにも分からないのです。とにかく、ここからできるだけ遠くへ離れるだけです。
「みんな、聞いてくれ」ダーバが言いました。「これからの旅は長い旅になると思う。だから、急がないでゆっくり歩いていく。それでも遅れそうな人がいたら、先頭まで伝えてくれ。それから、白いものの正体は分からないが、どうもいいものではなさそうだ。みんな、白いものを吸い込まないように手ぬぐいで口を覆ってくれ」
 パテルは、一口食べた白いもののざわざわした感触を思い出しました。もっともパテルは、すぐに吐き出したのですが。

 


     (3)

 パテルや村の人たちは、町から反対の方向にあるタラチネヤマを目指しました。ダーバと幾人かの男たちが先頭を行きます。
タラチネヤマは険しくはありませんが、長い上り坂が続きます。坂の途中までは、背の高い広葉樹の森が広がっています。大きな広葉樹の葉っぱが空を覆っていて、そのせいで山道に白いものはありません。そのかわり、まだ昼間だというのに、夜のように暗いのです。
 パテルは、村の人たちの最後を歩きました。伝令役です。遅れそうな人がでると、村人の間をすり抜けて、先頭のダーバに伝えます。
いつの間にか、パテルの横にツツルが並びました。ツツルも大きなリュックを背負っています。
「重たくないかい」とパテルが聞きました。
「それは重いわよ」
ツツルはパテルの方を見て言いました。「でもね、わたし、思ってみたの。これから今夜の食事をするでしょ。そのあとにはお茶だって飲むわ。すると、明日の荷物はその分だけ軽くなっている。そうやって毎日毎日少しづつ軽くなっていって、やがてリュックの中にはなんにもなくなる。そうなる前に、白いもののない土地へ着ければいいなって」
パテルは黙ってうなずきました。今、ツツルが言ったことが、みんなが不安に思い、漠然と「今後」を考えるときのすべてでしたから。つまり、食べ物があるうちに、白いものがない土地へたどりつけるだろうか、と。

足もとに丸いすべすべした石が目立つようになりました。前の方がすこしだけ明るくなったようです。タラチネヤマの半分を登ったあたりです。
「痛い、痛い。もう、おれは歩けないよ」
パテルのすぐ前で声がしました。鍛冶屋のブドンです。そういえば、少し前から足を引きずるようにしていました。
「おれは鍛冶屋だ。毎日、火を扱うのが仕事だ。だから、おれの手は象の皮のように厚くなっている。ところがよ、おれの足ときたら、まるで赤ん坊のほっぺたのように柔らかいんだ。もう、痛くて歩けない」
ブドンは、足を投げ出して座りこんでしまいました。たしかにブドンの白い足からは、マメがつぶれて、血が流れています。パテルは、すばやく村人のあいだを抜けて、先頭のダーバのもとへ走りました。
「ブドンが、マメがつぶれてもう歩けないといっているよ」
「そうか」
ダーバは短く答えました。「少し休もう。そのあいだにブドンの手当てをしよう」
ダーバは両手をあげて、それから静かに横に開きました。休むときの合図です。
「タットばあさんはおれと来てくれ」
タットばあさんを見つけて、ダーバは言いました。
タットばあさんは、普段から山に入ってはいろんな種類の薬草をとり、乾燥させて、効き目ごとに袋に入れて持っていました。



(4)

「おう、これはひどいね」
タットばあさんは、ブドンの足を見て言いました。そして、乾燥したヨモギの葉を出して、少しの水で湿らせてからブドンの足に当て、包帯で巻きました。
「まて、まて。これじゃ、靴がはけん」
タットばあさんは、ブドンの靴をハサミでジョキジョキ切りました。
「あとは革職人のヨーテの出番だ。ヨーテ、ここにきてブドンの靴を縫ってくれ。きつくなく、ゆるくもないようにな」
ヨーテは几帳面です。細身で、少し神経質には見えますが、思慮深い、いい男です。
ヨーテは、きつくもなく、ゆるくもなく、と言ったタットばあさんの言いつけどおりにブドンの靴を縫い上げました。
「さあ、ブドンや、立ってみな」
タットばあさんにうながされて、ブドンはそろそろと立ち上がりました。

「ブドンの治療も終わった。さあ、出発しよう。森が終わるところで今夜は休むことにしよう。あと少し歩こう」
ダーバはみんなに声をかけました。

タラチネヤマは、つきたての餅が台の上で自然に流れて、そのまま冷えて固まったような形をしています。
出発してから二日目の昼に、ようやくタラチネヤマの頂上に着きました。白いものは、風に巻き上げられ、岩のくぼみで吹きだまりをつくり、まとまって大きな綿菓子のようなかたまりになっています。
村のみんなが頂上に立ちました。村の方角は、どこまでもどこまでも、白いものに埋めつくされています。悲しみの声がながれました。しばらくして、悲しみの声は祈りの言葉にかわりました。
「あと半日、遅かったら、わしらも白いものにのみ込まれていた」
丸い目のチーゴが、さらに目を丸くして言いました。
チーゴは、村では果物をつくっていました。ミカンや柿や桃などです。なかでもチーゴがつくる桃は、いい香りがして格段に甘いのです。
「さて、これからどうするかだが」とチーゴが言いました。「あのチチハリヤマはあまりに険しい。チチハリの峠は夏でも雪が降っていると聞いたことがある。遠回りになるが、チチハリのふもとを回っていくしかあるまい」
「そうだな。おれもそう思っていた」
ダーバもうなずきました。




     (5)
 
 タラチネヤマを下りるのに丸一日かかりました。
 不思議なことに、村を出てからこれまでに生き物の気配を感じたことは一度もありません。鳥の鳴き声さえ、聞かなかったのです。それが、タラチネヤマを下りる途中、空の高いところを白いネコカラスが飛んでいました。ネコカラスは、いくども旋回しながら少しずつチチハリヤマの向こうへ飛んで行きました。
 「ネコカラスが案内してくれる」
 チーゴが言いました。
 たしかに、空を飛ぶネコカラスの姿は、村人の目には、小さいけれどもたしかにそこにある、希望に見えたのです。
 希望、とパテルは思いました。白いものの及ばない土地が山の向うには必ず、ある。村のみんなはそこへたどり着き、あたらしく家をつくったり、畑を耕したりするのだ。
 レミィが鼻をひくひくさせながらパテルのところに走ってきました。
 「お水の匂いがするよ」
 レミィは、鼻をつきだして嗅いでいます。
 「なに、水だって」
 ブドンがレミィの方を向きました。そして、
 「おれには、苔の匂いしかしないがね」と言いました。
 「その苔の匂いの、すこぅし下の方。熱い岩の上あたりよ」
 「こりゃ、たまげた。あんたには匂いが層になって感じられるのかね」
 ブドンは、本当に驚いたふうです。
 たしかにレミィには不思議なところがありました。
 以前、パテルの家に旅人が泊ったことがありました。レミィはやはり旅人の匂いを嗅ぎ、それからこう言ったのです。
 「熱いところを歩いて来たんだね。そしたら、急に雨になって困ったと思っていたら、また晴れてきた」
 旅人は目をぱちくりさせていました。その通りだったのです。
 「あそこ」
 レミィが指さしました。
 大人の背丈の倍はあるくらいの大きな岩の下です。するどい草で覆われています。草には白いものがうっすらと積もっています。
 みんなが集まりました。タットばあさんが、そっと草をかき分けました。たしかに水です。それも絶えず湧きだしているようです。湧き水は岩のあいだで小さなたまりをつくり、あふれた水は横にある穴へと流れています。
 「問題は、白いものが混じっているかどうかだが」
 チーゴは言って、顔を近づけました。
 「白いものの匂いはしないよ」
 レミィが言いました。
 
 

      (6)

 「この水は、チチハリヤマの雪が溶けて湧き出たものだよ」
 タットばあさんは言いました。
「その証拠に、見てごらん。常に湧きだしているだろう」
 レミィは自分のコップを出すと、さっとすくって飲んでしまいました。
 「じゃ、わたしも」
 母さんのメイも飲みました。ブドンが続きました。そうなると止めようがありません。みんなが、最初はおそるおそる、そのあとは一気に飲みました。
 「あー、生き返った」
 ブドンが大げさに言いました。みんなが笑いました。いったい、何日ぶりの笑いだったでしょう。村から持ってきた水は、昨夜のうちになくなっていたのです。
 
 パテルは、もう一度、希望ということを考えました。希望とは夢見ることです。強く強く夢見ることです。白いもののない土地を探すこと。そして、いつか、故郷の村に帰ること。それは、ダーバからパテルの世代に引き継がれ、さらにその先のことかもしれません。

 ネコカラスが再び姿を見せ、みんなを誘(いざな)うようにいくども旋回して、チチハリヤマの向うへ飛んで行きました。

      (終わり)