時間と時


先週はじめだったか、弱い台風17号が鹿児島県の枕崎付近に上陸し、宮崎県へと抜けて温帯低気圧になった。台風の九州上陸は6年ぶりだったらしい。
 たいした台風でもなかったので気にも止めないで忘れていたが、先日、海へ行って驚いた。台風が運んだ流木が、山になって積んであった。


 そう言えば、今年になって、2011年の津波で流された漁船が、日本海側の福井で見つかった。この漁船は、太平洋を漂流したあと、日本列島の北端の北海道か、南側の沖縄辺りを回って福井沖まで流れついたのだろう。

 ここで考えさせられるのは、継続・連続ということだ。

 わたしたちは一日24時間を、働き、食べ、眠りと分断して生きている。しかし、潮流は流れ続ける。その流れは休むことはない。流れることが潮流の意志であり、命そのものなのだ。

 たとえば、わたしたちは「時間」のなかで生きている。しかし、連続する意志は時間ではなく、銀河の「時」を生きる。

 もう一つ思った。

 海へ漏れ続ける放射性物質のことだ。
 放射性物質は海流とともに太平洋を汚染し、やがて日本海を浸蝕して北半球全体に拡散する。日本海で見つかった漁船は、これを証明してくれた。


 ぼくの「流木生活」も、潮時かもしれない。