龍が空をとぶわけ

Kurosuke2008-11-02




 龍が空を飛ぶわけ

 
 浜辺に座って、爺さんが焼酎を飲んでいる。目は濁ってとろんとしていて、顔は酒焼けでてらてらと光っている。その爺さんが、龍が飛ぶことについて話をした。
 梅雨の晴れ間の夕方で、空には不安定な夏の雲がひしめいている。

 若いの、まあ、わしの話を聞け。
鳥が空を飛ぶのは分かる。蝶もトンボも、セミもカブトムシもわかる。みんな羽を持っているからな。
だが、龍が空を飛ぶのはどうだ。どうやって説明する?
ときどき、小さな羽が描かれた龍もいるが、あれは作者のつじつま合わせだ。飛ぶからには、羽がいるだろうって、な。
若いの、あの右手の雲を見てみろ。そうだ、あの黒い雲だ。今、光っただろう。
龍は、昔から稲妻と滝のような豪雨とともに現れた。

・・・わしは、たった一度だけ龍を見たことがある。
小学生のわしは、おやじと伝馬船に乗って釣りに出かけた。よく晴れた夏休みの一日で、風ひとつない。親父がこぐ伝馬船は海の上をすべるように進む。キスやコダイが面白いように釣れた。お昼の握り飯を食い終わり、そろそろ帰ろうかというときだった。冷たい風がほほをなでた。空を見ると、黒い雲がむくむくと沸きあがってきた。その黒雲が空を埋め尽くすのは、あっという間だった。雷鳴が聞こえ、稲妻が見えた。
「いかん」というなり、おやじは立ち上がって全力でこぎだした。ところがあれほど静かだった海が、ざわめいて立ち上がり、行く手を阻んだ。波の向うからは風が、しぶきとともに吹き付けてくる。稲妻と雷鳴はどんどん大きくなる。
おやじは港へ向かうのをあきらめて、進路を変えた。島影で嵐が通り過ぎるのを待とうと思ったのだ。小学生だったわしも立ち上がって一緒にこいだ。そして、ようやくの思いで島の懐に入ることができた。とりあえず、島が風は防いでくれる。しかし、雨は、まるで滝の中にいるみたいで、一面乳白色だ。稲妻が、白い世界を紫に変える。
そのときだ。視界が真っ黒になった。伝馬船が大きく揺れて、わしは船べりにしがみついた。海の中から出てきた黒いものが、上へ上へと昇っていく。生臭い匂いが漂った。
「龍だ」
おやじが叫んだ。

若いの、腰が抜けるというが、まさにその通りだ。わしもおやじも、目の前が明るくなり、いつしか雨もあがっていたが、立ち上がれないでいた。

この日の記憶はずっとわしの中心にあって、龍が水面から出て空へと昇っていくことを考えていた。ああ、何十年も考えていて、最近、やっと、答えが出た。
それはな、エネルギーだということだ。つまり、作用と反作用だ。
雷が巨大なエネルギーだということは分かるな。そのエネルギーが空から地上へ向かう。それが地上へ達した瞬間、地上から空へと上昇するエネルギーが生まれる。龍は、この上昇のエネルギーに乗るのだ。雷鳴が鳴り、稲妻が交差する中に龍の道がある。

ハ、ハ、若いの、おまえさんは純粋な目をしておる。わしは、この歳までいろんな人間を見てきた。若いの、一つだけ忠告しておく。純粋さはとても大事で貴重なものだ。だが、それだけでは生きていけない。
今度会ったら、その辺の話もしようじゃないか。