ブッチのケガ
ブッチが後ろ足を引きずって帰ってきた。ほぼ一週間ぶりだ。
後ろ足は以前から痛めていた。それが少しづつだが、回復しているようだった。しかし、今回、かなりの重症に見える。
ブッチは三本の脚で歩いている。一本は宙に浮かせたままだ。
雄ネコの本能ですよ、と言われそうだ。
それにしても痛々しい。
このごろ
風呂に入っていて今日が2月の最後の日だ、と気づいた。
で、シャンプーすることにした。この前のシャンプーは、多分2月の初めのころだったように思う。半ばころに、「つまんでチョキン」のカットをした。
1月の終わりに大腸検査をした。去年の検査からちょうど一年目の2回目の大腸検査だ。
「ポリープがあったらとりますから。とったら様子を見ますので一日入院ということになります」
そう言われていて、案の定、入院ということになった。
検査のあいだ中、カミさんが心配してウロウロしていたらしい。検査室を出て、四階の病室へと向かう間、看護師さんが話しかけてきた。
「あの、四階に行くともう一階には下りられません。コロナ対策のためです。売店でお茶でも買っていきますか?」
頷くと彼女は2本のペットボトルのお茶を買ってきた。
エレベーターの扉が開いて、乗り込んだ。彼女は4と閉のボタンを押す。素早い。
「奥さん、きれいな方ですね」
「そうですか、どうも」
「誰か、女優さんに似ているような」
「女優さんですか?大竹しのぶとか」
「そう、そう。大竹しのぶ、びっくりしました。結婚なさって長いんですか?」
「えぇ、21の時からだから、もう48年ですか」
「ま、48年ですか。じゃ、あと2年もしたら金婚式じゃないですか」
「そうですか」
「そうですか、じゃないですよ。プリンスホテルの松の間で、金屏風の前で金婚式。いいなあ。あら、いやだ。わたし、よだれが出ちゃった」
「・・・」
それぞれの成人式
強い冬型の気圧配置のせいで、天草でも昨日から冷え込み雪になった。
こんな中、アカは昨日の昼間に帰ってきたが、ホシが正月からまだ帰らない。もう、10日になる。
生まれたのが去年の2月の初めだったから、まもなく満一歳になる。体つきはすでに親と変わらない。
四匹の子ネコをほぼ一年間をとうして見ていて、甘ったれ度の順位をつけた。最も甘ったれなのがブッチで、次いでアカ、それからギーとホシとなる。
ところが、ブッチの次に甘ったれだと思っていたアカがたくましくなって帰ってきた。動作の一つ一つが自信に満ちている。声も低くなり、威厳さえ感じさせる。
ヒトはオトナになるのに20年かかるが、ネコ族は一年でオトナになるようだ。
エサがあって、寝る場所があり、母親と兄弟がいて、そこにいればとりあえず不自由なく過ごせるところを離れて、どこへ、何のために出かけるのか。
牧水の歌
年末から妙に若山牧水を思い出していた。
牧水は、宮崎生まれで延岡中学を経て早稲田へと進む。
ぼくが初めて牧水を知ったのは高校生のころで、教科書に載っていたいくつかの短歌に鮮烈な印象を受けた。
記憶のままに書き出してみる。
降るべくは降れ
照るべくは照りいでよ
今日の曇りは我を狂わしむ
あるいは、こんな歌もあった。
海を見よ 海に日は照る
山を見よ 山に日は照る
いざ口を 君
そして、よく知られた白鳥(しらとり)の歌。
白鳥は哀しからずや
海の青 空の青にも染まずただよう
ぼくの中での極めつけはこの歌だ。
幾山川越え去りいかば
寂しさのはてなむ国ぞ
今日も旅行く
10年ほど前に東京から来たイさんのアッシーをして宮崎から鹿児島と回ったことがあった。宮崎県庁は、昭和のはじめに建てられたという古い建物だったが、一階に牧水を記念する一室があった。これだけで宮崎を見直した。それまで東国原なんぞを知事に選びやがって、と半分馬鹿にしていたのだったが。そうなのだ、それをいうなら今はもっと状況は悪く、緊迫している。東京都民は小池を選んだし、大阪は吉村や松井を選び、なにより時代錯誤の自民党が変わらずこの国を牛耳っている。
新年年明けだが、世界は終末へと向かっているようにさえ思える。
それでも希望は「寂しさのはてなむ国」を目指す者たちがいるということだ。
少数ながらも確実にいるということだ。
このごろ
山の中に住み始めてそろそろ7年になる。
何よりも静かなのがいい。ネコたちにエサをやっていて、ふと振り向くとタヌキがちょこんと座っている。
「オレニモクレ」
間違いなくそう言っている。
それにしても山は荒れている。50年以上前に植えられた杉は放置され、倒れ、折れ、そして腐り、イノシシが掘り返している。
いやいや、荒廃しているのは山ばかりではない。戦後75年経って、惨憺たる状態なのが政治だ。人間は(なかでも日本人は)、これほど愚かだったのかと思い知らされることばかりだ。
こんななかでも、なんとか希望を見つけて、絶望的な気持ちを転換しなければならない。
竜宮の話
家の裏に柿の木があることは2,3年前に気が付いていたが、実がなったのは今年が初めてだ。少し前に風の強い日があって、葉っぱをきれいに落としてくれた。それで、初めて気づくことができた。
それにしてもこの国の政治はひどい。
「はやく芽をだせ かきのたね・・・」が、昔話になる。今、国会でやられている「種苗法改定」の問題だ。
竜宮の話
さっきまで釣りをしていた二人の男が、防波堤でしゃべっています。
夏の、日陰も何もない防波堤の上は、灼熱の地獄のような暑さです。
一人がいっしょうけんめいに説明しています。
「・・・あのな、入り江全体が桜色や。それも輝くような桜色や。夕日にはまだ早い。不思議なこともあるもんや、と思ってると、ぷくん、ぷくんとあぶくが浮いてきた。そしたらそのあぶくから声が聞こえるんや。
(ああ、しばらく地上ともお別れだな)
あぶくがそういいよる。それから、
(この次は千年後かな)
わしな、思い切ってあぶくに聞いてみた。あんた、だれや。
すると、あぶくが答えた。
(鯛や)
鯛って、あの、魚の鯛か?
(イエス)
鯛がなんでしゃべるんや。
(鯛は鯛でも鯛のスピリッツや。わしはあんさんのボキャブラリーに直接、話しかけてます。それにしても、あんさんのボキャブラリーは貧弱ですな)
よけいなお世話や。
しかし、鯛からボキャブラリー言われるとはおもわなんだ。これは夢か。
(ハ、ハ、夢と思うなら竜宮へお連れしようか)
竜宮は亀に乗って行くもんじゃないのか。
(竜宮への道はいろいろある。あんさんはわしを見つけて、声をかけてくれた。それだけで竜宮への無料パスポートは成立した。竜宮へ行くか行かぬか、それは、あんさんの自由意志や。もしも、行ってみたいと思ったら、いいか、わしの言葉が終わったら、大きく息を吸ってそれをゴクンと呑み込むのだ。それが、承諾の合図だ)
息を止めて鯛の言葉を聞いていたおれは、息を吸ってゴクンと飲みこむしかないじゃないか。
その瞬間や。真っ暗になった。どこだかすぐに分かった。鯛の口の中だ。時間なんてもんじゃない。ほんの数秒だ。鯛はゆっくりと竜宮の門を入った。
くらくらする光景の向うに乙姫さんがいた。
(ようこそ。おこしやす)
「おい、まて。さっきから聞いてると関西弁がやたら多いが。しかも、乙姫さんは、京都の舞妓さんの口調じゃないか。」
「気にすんな。そんなことより、もっと大事なことを乙姫さんはいったんや。」
「ほう、大事なこと、か」
「ウラシマ暦、や」
「なんじゃい、そのウラシマ暦っていうのは」
「昔、昔、ウラシマは竜宮へ来た。ところが、2泊3日して帰るともとの世界は一変していた」
「2泊3日なんて、修学旅行みたいだな」
「そおや。ところがその2泊3日が問題だったんや。ウラシマ暦ではな、竜宮の一日はこっちの100年にあたる。そやさかい、2泊3日は、ざっと250年というわけや」
「なんか怖いな。それで、きみは何泊したんだ」
「3泊4日」
「すると、ざっと、350年、か。でも、変わらんな。そっか、玉手箱だ。乙姫さんからなんかもらってきただろ」
「これのことか。開けてみたろか」
「待て、待て、ちょっと、待て。開けたら白い煙がぱっとでる。すると、一気に350年後の世界だ。きみはいい。なんせ、竜宮へ行って乙姫さんに会ったんだから。けど、ぼくはきみのそばにいたというだけで、完全に巻き添えだ」
「あの、聞きますけどな。生きていてなんぞ楽しいことがありますか。希望はありますか。朝、ぱっと起きられますか。リンゴがかじれますか」
「歯磨きの宣伝みたいだな」
「つまりな、きみの人生のゴールはもう、見え見えやんか」
「わ、分かった。きみの言うとおりだ。開けてくれ。 けどな、くやしいな。せっかく乙姫さんからもらった玉手箱だ。国会へ行って、あの偉そうにしている議員たちの真ん中で開けたかったな。あるいは、東京オリンピックの開会式、その真ん中で開けたかったな」
「それ、わかる。開けるの、もうちょっと待ってみるわ」
誕生月のころ
十一月はぼくとカミさんの誕生月だ。この間、単に一日や二日のお祝いではなくて、ずーっとひと月お祝いにしようと昔むかしに決めた。お祝い月間だ。
猫たち恒例の「エサくれコール」。
網戸はボロボロになった。
あなたはわたしの名を呼んだ
~恋する二人~
むかしむかしのこと
二人のあいだには
時が濃い霧のように立ちこめ
静寂と喧騒とがめまぐるしく入れ替わり
光と闇は錯綜し 混乱し
先は見えず 後ろも見えない
そんななか
あなたはわたしの名を呼んだ
だからわたしは来た
そしてここにいる
あなたのかたわらに