若杉さん

先日、目医者で偶然、若杉さんと会った。
「どうしたんですか?」
お互いが同時にそう言った。
白内障の手術をしたんですよ」と若杉さん。
「河浦は田舎でしょ。買い物に行くのも、病院に行くにも車がなくては話にならんとですよ。免許の更新のために手術しました。うちの母ちゃんは、車どころか自転車も乗れんですけん」
「若杉さんはいくつになりましたか」
「はい、八十四です」

田舎では、車の運転は生きることと直結している。

若杉さんは背が高い。そして、鼻も高い。眼はくぼんでいて、エキゾチックな雰囲気がある。はるか昔の、ヨーロッパからきた宣教師の面影をぼくはひそかに重ねている。

若杉さんは、河浦町役場に勤めて、今は退職して奥さんと二人暮らしだ。路木ダムにずっとかかわってきた。運動の中では、会計責任者といった役回りを担ってくれていた。去年の4月に出た福岡高裁での判決には、本人は行く気満々だったが、周りが止めた。若杉さんは心臓に持病を抱えている。

地震があったのでいつもの熊本回りじゃなくて、佐賀経由で行きます。フェリーで口之津へ渡って諫早から高速へ乗ります。相当しんどい道中になると思うので、若杉さんは、おとなしく報告を待ってください」となだめた。

高速では「災害派遣」の横断幕をつけた自衛隊のトラックやジープと並走し、また、すれちがった。

帰りの高速で若杉さんから電話が入った。
「どがんだったですか」
「どもこもなかです。逆転敗訴です」
ぼくを含めて、怒りと疲労がごちゃ混ぜになっていた。


後の世代へ何を伝えていくのか。
この裁判では、そんなことを考えさせられた。
醜悪な権力の巣窟であるアベに群がる蟻のようにではなく、その対極にあるものとして、やはり、ぼくは「やさしさ」を伝えたいと思う。