トンボあるいは悟郎さん



写真は、雨が降り出す前のラベンダーの花にとまったトンボ。
この後、雨が降り出してトンボは見えなくなった。

今日は約束した午後1時に獣医の悟郎さんが来た。二匹の猫に予防中射をするためだ。
注射の処置は、10分、いや5分で終わる。カミさんがお茶をいれる。ここからだ。悟郎さんの熱弁が始まる。

今日は、天竺の話から始まった。インドでも中国でもない、天草の天竺の話だ。
話は、島原・天草のキリシタン一揆の前後とあっちへ飛び、こっちに飛びする。それでも十分に面白い。


今日の圧巻は、自身の学生時代の話だった。
「長男は家の跡取りとするから勉強はせんでもいい、とこうですもん。机もなかった。リンゴ箱が机ですよ」
「高校の2年までノートをとるということがなかった。だから、授業を必死で聞いて覚えるっとですたい。大学の受験勉強をしたのは受験前の2か月ですばい」
「その2か月はほとんど寝とらんだった」
「面白い話があってな、いよいよ受験ということで6人で受験に行った。引率の教師が数学の教師だった。宿についてから、今のうちに聞いておきたいことがあるなら聞いておけ、と言って黒板を持ってこさせた。みんなが黙っているのでわしが質問した。幾何の問題だったが、どうもこの問題が出そうだから、先生、説明してくれと」
「これはちょっとややこしいな、と言いながら説明してくれた。ほかの生徒は騒いでばかりいて聞こうともしない。いざ、試験になってみるとその問題がほとんどそのまま出とる。わしは数学は100点だった」

こうして悟郎さんは、宮崎大学獣医学科に入学する。

大学での話がまた、面白い。
折から60年安保の前後の年で、学生たちが元気だった。
「毎日、ワッショイ、ワッショイですたい」
「わしは、学生総代だった。それでいろんな学生たちの話を聞いていると、ヘーゲルとかマルクスが出てくる。こうしちゃおれぬと思って、哲学書を読んだ。ソクラテスプラトン、カント、ヘーゲル…、ところがマルクス資本論がどうしても理解できない。何度読んでもわからない。おれはそれほどバカなのかと思った。しかし、そのあと、よくよく彼らの話を聞いてみると彼らもよくはわかっていないことが分かった」
「獣医学科でよかった。実習はあるし、実験もある。獣医学科は忙しかった。あのまま祭り上げられていたらどうなっていたことやら」

悟郎さんの武勇伝。
獣医学科では動物たちを実験に使う。命を落とす動物も多い。それなのに動物たちの供養塔もないのか、と悟郎さんは学長に直談判したのだ。
結果、供養塔がつくられ、それは今も宮崎大学の構内にある。

悟郎さんが帰ったのは午後4時だった。