火鉢の復活


古い火鉢が何とか使えるようになりました。おそらく、50年ぶりの復活です。

長持ちさせるコツは、使い続けることだろうと思います。使われなくって、しまい込まれたとたんに「その物」は、ゆっくりと崩壊を始めるように思うのです。


昨日は、人吉の青井阿蘇神社でダム関係の新年会でした。
今さらながら、この国のダム行政のでたらめさを思います。荒瀬ダムは、撤去工事が進んではいるが、その速度が遅すぎる、とか。その上流の瀬戸石ダムは、バカシマ熊本県知事が水利権の更新を認めてしまった・・・とか。

長崎の石木ダムで反対運動を頑張っている「ほずみさん」親子も来ていました。
全国、どこの自治体でも、人口減少は避けられない課題であるのに、長崎でもいつのころにつくられたものか、水需要の右肩上がりのグラフと、同じく右肩上がりの工業用水需要のグラフ。こんなものを金科玉条のように掲げて長崎県は、ダム予定地を強制収容しようとしている。

これが現在の行政の姿であることに、怒りよりも悲しさが静かに湧いてきます。
そして、改めて思うのです。
私たちは、どんな社会を作ってきたのかと。