たましいの時間



おい、若いの。昼間の時間がだいぶ短くなったな。ちゃんと仕事してるか。
俺は山の家で暮らして改めて考えたことがある。
それは時間ということと、一日ということだ。
若いの。お前さんは時間は無限にあると思っているだろう。たしかに、時間は無限に存在する。しかし、それはお前さんがいなくなってからの時間も含めてのことだ。
俺がいなくなったら、それですべて終わりじゃなかって?そんなことはない。我々の肉体は、およそ80年で終わりが来る。しかし、魂はどうだ?
今日、話そうと思ったのは、魂についてだ。

どうだ、若いの。今夜、満月の月が空に浮かんだ。
例えば、満月から満月までを一日としたらどうだ?およそ、30日が一日となる。あるいは、太陽が地球を一周する、それを一日としたらどうだ?一日は、365日となる。

永い永い時間を表す中国の話を印象的に覚えている。天女の話だ。
天女が100年に一度、水浴びに訪れる海辺がある。天女は、ふわりとした羽衣を脱いで岩にかける。水浴びが終わった天女は、再び羽衣をまとって飛び立つ。その岩がすり減るほどの長い時間という表現だ。いったい、何十万年、何百万年の話だろうと思った。

こうも思うのだ。
俺たちのうちのある確率で(それは非常に低い確率なのだが)、考古学に関心を示すものがいる。四千年も五千年も前の時代だ。あるいは、もっと古いかもしれない。
これはおそらく、魂の記憶だ。

若いの。だから、肉体の死は魂の死ではないということだ。
考えることはたくさんある。