山を走る

いえ、いえ、大したことではありません。
普段ならいったん街へ出て、国道の広い道を下田温泉へと向かうのですが、今日は山道を走りました。
山道といっても一応県道です。
20年前にこの道を走って、たびたび天草町の大江へ行ったことを思い出していました。
その時と印象があまりにちがっていたのです。道端の草は道路にはみ出し、木という木は枝を伸ばし、成長し、空を覆っています。
このあと10年もしたら、この道は森にのみ込まれてしまうのではないか。そう、そう、道路の向こうではイノシシの子どもが4匹遊んでいて、車に気付いて山の斜面を駆け上っていきました。


人口は減り続け、次第に少なくなる若い人は、森の手入れの仕方も分かりません。
それより思ったのは、山に植えられ、そのまま放置された杉林です。多分、昭和30年代前後のことだと思います。当時の農林省は、山にスギ・ヒノキの植林を奨励しました。この結果、日本中の山から天然樹が伐採され、代わりにスギ・ヒノキが植えられたのでした。
それから60年以上が経ち、成長したスギ・ヒノキは大木に育っています。
しかし、それだけです。
山の急斜面にまで植えられた杉は、伐採のされようもなく、今日も暗い成長を続けます。

日本は昭和20年に敗戦をむかえます。日本中が焼け野原になり、そこから戦後の日本を再建しなくてはならない。スギ・ヒノキは成長も早く、住宅の建設にはうってつけだ、と思ったのでしょう。
でも、だれが?
おそらく、当時の政権の中枢にいた官僚です。

国家的なプロジェクトには、利権が付いてきます。
熊本選出の、当時農林水産大臣だった松岡氏が自殺(?)したのは、10年ちょっと前の話です。死人に口なし。森林利権は以来、封印されて今に至っています。

もっとも今日では、原子力利権が代わりにのさばっているようですが。

周期的に無性に悲しくなることがあります。
私たちは、こうした劣化した人間とともに、彼らが声高に叫ぶスローガンの下、「滅びへの道」を歩いているように思うのです。