4年前の看板




この看板をつけたのは、4年半前でした。
商店街が閉まった後の、夜中11時作業開始。季節は冬。2月最終日。終わったらあったかいラーメンを食べよう。手伝ってくれた二人にはそう言ってありました。


およそ80センチ×180センチの板5枚をつないでいきます。出来上がりは80センチ×9メートル。

実は日曜日にこの商店街の一角にある「国際交流館ポルト」で、講談師「神田香織一座」の講演があり、ぼくは舞台そでの看板をつくりました。この日の演目は『哀しみの母子像』。1970年代、横浜(あるいは横須賀)、米軍ジェット機が墜落炎上し、子どもは即死、母親は全身やけどの重症を負い、やがて亡くなります。この間の一連のルポルタージュを講談に仕立てたものが『哀しみの母子像』です。原作を読んだことがあるので、どうしても講談を聞く気になれず、商店街をふらついていたのでした。
神田香織師匠自身、福島・いわき市の出身です。そして今回、福島の施設で集団生活する小学生の子どもたち9人とともに天草にやってきたのです。受け入れの中心となったのは、天草の反原発のグループでした。
どうしても違和感が残ります。
じゃ、お前だったらどんな演目を選ぶ?
真っ先に思いつくのは、『フラガール』です。なにより明るい。鎮魂の語りではなく、明日に向けての希望の語りです。
そんなことをぶつぶつ思いながら会場に戻ってみると、福島の子どもたちと神田香織師匠が客席前面であいさつをしているところでした。
この子どもたちが、丸ごと移住できる政策がとれないものかと思います。