田舎暮らし

キョンキョンの話がまだ終わらない。
これが終わって、一冊の本と思っているのに困ったことだ。
カミさんには7月いっぱいといってある。しかし、7月はあと数日しかない。週末は苓北で環境会議の反省会と称しての飲み会があるし、日曜日は、講談の神田香織師匠の『悲しみの母子像』の看板を頼まれている。合間には、竹トンボも作らねばならない。
「おれはこっちをやるから、与作、おまえはそっちをやってくれ」
与作が言うことは分かっている。
「ふん。こないだ、ネコも一匹、人間も一人だと言ったばかりじゃないか」


 おれもシン子もいつの間にか田舎の暮らしに慣れてしまった。シン子は、ばぁちゃんの後にくっついているし、おれはじいちゃんとばぁちゃんから適当な距離をとっている。適当な距離?これは近づきすぎると危ない、とおれの本能が教えてくれている。なにが、どう危ないのか、詳しいことは分からないけど。
 
お盆になって、父さんと母さんがやってきた。予定通りだ。
「お世話になっています」
母さんが丁寧に挨拶した。母さんは、その昔に演劇をやっていた。そのせいで表情や仕草に無駄がない。それどころか、母さんが「お世話になっています」と言うと、周りの人を本当にそうなんだ、と思わせてしまうオーラがある。声には張りがあるし、目を閉じて聴いていると、特上の声で鳴くウグイスの声を聞いているようで、すぐに眠くなる。
「いえ、いえ。こっちこそ楽しませてもらっていますよ」
ばぁちゃんが答える。このばぁちゃんが、また、曲者(くせもの)なのだ。ばぁちゃんは、頭の先から足の先まで武闘派だ。もしも戦があったら、薙刀なぎなた)を持って真っ先に戦場に駆けつけるタイプだ。だから、日々の鍛錬は欠かさない。中国の太極拳と日本の古武道の動きを取り入れたという独自の日課をこなしている。
一度だけ、早起きしてばぁちゃんに付き合った。
朝の五時だ。八月の初め、うっすらと明るくはなっているが、まだ、日の出前だ。二十三夜の月が西の空にある。ばぁちゃんは、胸の前で手を組むと、ゆっくりと頭上にまで持ち上げた。息を吐きながら、その手を左右に開く。手のひらは上を向いている。そのまましずかに膝を折りながら、手のひらを地面に向ける。そして、一気に跳躍。左右の手のひらに開いた足がつく。一瞬のことだ。少林寺にこんな婆さんはいたっけ。
キョンキョンもやってみな」と涼しい顔でばぁちゃんが言う。で、やってみる。最後の跳躍の前までは何とかやれる。でも、飛び上がって足を開いても、脚は左右に開かない。ザリガニが跳び上がったみたいだ。脇で見ていたばぁちゃんが、後、三年、と言ってにやりと笑う。冗談じゃない。これから三年もこんなことやっていられない。第一、おれは武闘派じゃない。以来、ばぁちゃんの朝の鍛錬に付き合うのをやめている。

父さんと母さんがいられるのは、お盆をはさんで五日間だけということだった。六日目には、父さんと母さんは、シン子を連れて帰る。次に会えるのは、来年の三月だ。そこで、おれたちは五日間の予定を話し合った。
「せっかく来たのだから、まず、海ね」
母さんが伸びやかな声で言う。
「海もいろいろあるぞ。泳ぐのか、釣りをするのか、それとも海を見ながら飯を食うのか」
じいちゃんは斜め上を見ながら言う。
「あの、オヤジ」と父さんが、やはり斜め上を見ながら口をはさむ。「できれば、その三つ、一日でできないかな」
「なにを急いでいる?五日もあるじゃないか」
キョンキョンの転校の手続きに一日」と父さん。
「他には?」
「おれの同窓会に一日」
「他には?」
「お土産を買うのに、一日」
「まだ、一日あるぞ。他には?」
「何にもしない休息日が、一日」
じいちゃんが、何か言いかけて止めた。
こんなやり取りがお互い、天井の一点を見ながら続く。どんな親子だ、これは?

結局、このあいだ泳ぎに行った砂浜にみんなで行くことになった。午前中は泳ぎ、お昼を食べてからは、じいちゃんの提案でマテ貝をとりに行こうということになった。明日から大潮で、午前中は潮が高い。午前九時ころが満潮だろう、とじいちゃんが言った。そこから潮は引いていって、午後三時ころには最干潮をむかえる。干潮の干潟でマテ貝をとる。
「どうだ。一日で海を堪能できる」
「潮が引いた干潟か。暑そうだな」
父さんが天井を向いて、目を細めた。ギラギラと燃える太陽を見る目つきだ。
「ところが、海は風が吹いていて意外と涼しいものだ。こんなものだと思えばどうってことはない」
「そうかなあ」
父さんは昔の記憶を思い出そうとしている。暑くて、のどが渇いて、眩暈(めまい)がするような干潟の記憶。
「こうしよう。おれと涼一はキスを釣る。マテ貝の方は、ばぁちゃんに頼もう。奈々さんとキョンキョンとシン子は、ばぁちゃんとマテ貝とりだ」
涼一は父さんの名前で、奈々は母さんの名前だ。