ハチノス


ハチノスは、蜂の巣だ。このあたり一帯を指す。かっては段々畑だったところだが、今は写真の現状だ。月に一度くらいのペースでぼくは山に入り、竹を切る。今はまだ見えない将来のために。
ハチノスは、蜂の巣がたくさんあったからではなく、山全体が蜂の巣のようにも整然と区画され、耕されていたからだと思う。おそらく、自らの視点を高度千メートルにも自在に飛ばすことができる人がいて、名付けたのだ。

 
昭和30年代の初めのころ、当時、島には22万人を超える人々が住んでいた。当然、子どももたくさんいた。小学校のクラスは、50人以上が普通だったし、町にも山にも、海にも子どもたちはあふれていた。
 食糧の自給。たしかに。大根や白菜を収穫した後にジャガイモを植える。別の畑では、玉ねぎが育っている。5月になれば、スイカとさつま芋を植え、秋には、冬の野菜の準備をする。
 収穫したものは、大家族のみんなで食べる。貧しかったが、充実していた。人々は、土とともに生きて、土へと帰っていった。

 
どこで間違ったのだろうかと思う。
 島の人口は13万人を切り、今も減り続ける。小・中学校は統廃合され、高校は2校がすでに廃校となり、来年度から募集を打ち切る高校が一つある。
過疎の島では、若者にも仕事がない。「震災がれき」の受け入れを、と言い出す人がいる。島の活性のために「原発」を、と言い出す議員が出てくる。
そうではない。受け入れるべきなのは、福島で被爆の中にいる子どもたちと、その両親だろう。この島も玄海原発川内原発に挟まれてはいるが、今のところ、福島ほどではない。そして、粘り強く原発廃止を訴えていくことだろう。

こうして何十年か後、ハチノスは再現されるのかもしれない。