就活の夢

《現実》
面接で一兵卒になれるかと問われる
「あなたの代わりはいくらでもいます」
「うちに入るなら夢は捨てなさい」
「夢は過去の遺物です。平凡に生きることです。結婚して、子どもが生まれ、家を建て、あなたは課長になり、やがて、退職する。あなたはあなたの両親の葬式を取り仕切り、親戚にあいさつし、孫の手を引く。街では車が新しくなり、古い原発が壊され、新しい原発がつくられる。この世界に対してあなたが関与できるのは、アリやチリメンジャコと同じで、限りなくゼロに近い」

《夢》
大学生の就活。面接。
会社の応接室。応対するのは人事課長。

「当社への応募、ありがとうございます。あ、どうぞ、座って楽にしてください」
人事課長の奥村、慇懃に頭を下げる。
大学生の吉村、お辞儀してソファにかける。
「ふん、ふん。ご提出の書類、読ませていただきました。大学ではサイクリング部に入っていらしたんですね」
「はい。体力には自信があります」
「遠くまで走るのですか」
「はい。九州から北海道まで走りました。1年生の時は、京都、奈良を走りましたし、2年生で西は広島、東は仙台まで行きました」
「ふーん。それでは、3年生や4年生となるともっと遠くまで走るのですか」
「3年生の時は九州一周でした。そして4年生で、北海道一周です」
「なんで、走るのですか。きつくて辛いでしょうに」
「登山家は、なぜ危険な山に登るのかと聞かれて、そこに山があるから、と答えました。わたしの場合は、そこに道があるから、と答えます」
「よろしい。大変よろしい。体力とともに信念も持っていらっしゃるようだ」
「ありがとうございます」
「ところで、大学での専攻は、環境経済学とありますが、私ぐらいの年配には初めて聞く言葉です。普通の経済学とはどう違うのですか」
「大雑把で乱暴な言い方をすれば、生き延びるための経済学です」
「ほう、生き延びる、ですか。それは、もちろん、われわれ人間が、ということですか」
「そうです」
「これまでの経済学では生き延びることができないと」
「おそらく」
「なぜですか。これまでの経済学も、充分役目を果たしてきたと思いますが」
「これまで、経済学は大事なことを勘定に入れていませんでした。それは、自然ということです。人間は人間だけでは生きていけません。自然環境との共生を視野に入れなければ、人間の持続可能な生存は難しくなります」
  ノックの音。コーヒーを持ってアスカが入ってくる。
  アスカ、二人の前にコーヒーを置く。
「アスカ君、君もどうかな。面白い話になりそうなんだが」
  アスカ、課長が座るソファの隅に腰を下ろす。
「どんなお話でしょう」
環境経済学についての話でね。アスカ君は聞いたことがないか、環境経済学
「名前だけなら」
「ほう。やっぱり時代なのかね。ぼくは初耳だった」
「時代と言えばそうですけど、わたしには経済学の模索のように見えます」
「また君は、スフィンクスの謎々みたいなことを言うね」
「それ、分かる気がします」と、吉村。「ただ、その渦中をくぐり抜けてきたものとしては、もはや、模索ではなくて経済学の新しい地平といいますか、確信だとも思うのですが」
「話が難しくなってきたなあ。なんか、こう分かりやすい例はないのかな」
「そうですね。諫早干拓の話をしましょうか」
「あの長崎の諫早干拓ね。いいね。聴きましょうか」
「例えばこういうことです。干潟は、陸地と比べて大した生産性はないと思われていました。干潟を埋め立てて陸地化すれば、米や野菜がつくれますし、余った土地には家をつくることもできる。もっと余ったら公園やサッカー場、野球場だってできるかもしれない。
もともと人は、少しずつ干潟を埋め立ててきました。諫早でもそうでした。地先干拓といいます。そして、それは長い時間をかけて、ずっと人力でなされてきたのです。海の近くには、新地と呼ばれるところがあります。新地は、昔の人たちが干拓してできた土地であることを表しています。
ところが現代では土木技術が発達し、大型の重機を使い、短期間で広大な干潟を陸地化できるようになりました。諫早がいい例です。でも、問題はここからです。たいして役に立たないように見えた干潟は、実はとっても大きな働きをしていました。諫早市は人口およそ20万人の市ですが、下水道も浄化施設もなかった時代、干潟はずっと家庭から出る雑排水の浄化を担っていました。今、浄化施設ができてわたしたちは安心した気持になっていますが、この施設や下水道工事のために何百億というお金がつぎ込まれています。
また、干潟はムツゴロウをはじめカキやハイガイやアサリといった干潟ならではの産物を提供してくれましたし、なにより遠浅の海は、魚たちの産卵の場所でもありました」
「つまり、本当は大事にしなければならないものを犠牲にして諫早干拓はなされた、と」
「そう思います」
「アスカ君はどう思う?」
諫早湾が閉め切られる映像は覚えています。中学生の、たぶん、2年生だったと思います」
「ギロチン、といわれたやつね」
「あの鉄板が水しぶきをあげて次々に落ちていくニュースは衝撃でした」
「で、アスカ君は、それを見て何を思ったの?」
「男どもは何てバカなことをするんだろうと」
「それから?」
「その時、女たちはどうしていたんだろうと。わたしが女性史のことをぼんやりと考え始めたのは、たぶんそれからだと思います。」
「女性史ですか」と吉村。
「そ、女性史」とアスカ。
「高村逸枝とか市川房江とか、ですか」
「ま、そんなとこ。でも、よく知っているわね」
「それで、大学で女性史やって、お茶くみですか」
「よく言うわね。坊や。わたしにケンカ売る気?」
「すいません。そういう意味じゃないんです。女性史を勉強されたのに、ここで涼しい顔でお茶を入れていらっしゃる。えらいなあ、と思いました」
「ほめられているのか馬鹿にされているのか、よう分からん」
「ほめているんですよ。いや、ほめるというより尊敬しています」
「あんた、名前なんといいましたか。課長、今の聴きましたよね。ほめるから尊敬へと一オクターブも上がっていますよ。語彙、豊富。臨機、応変。営業向き。どうです、課長」
「内定や。内定決定」
「でも、社長の決裁受けないと」
「社長は君のまえで、デレデレのヨレヨレだ。今では社長室筆頭秘書のアスカ君が、わが社の全権を持っている。君の決定がわが社の決定だ」

「あのー」と吉村。「それで、この会社、どんな会社でしたっけ」