春は悲しい

 45年前、学生服の胸のポケットに三本の鉛筆をさして、高校受験に行った。
消しゴムはもたない。
自分が考え、判断したことは、消さない。そう考えていた生意気な15歳だった。
高校生になって、生意気なやつはおれだけではなかった。
鮫ヤンは、その中でも際立って生意気だった。存在自体が生意気なのだ。目つきがよくない。その上、眉毛がうすい。歩くときに肩をゆすって歩く。身体は横に広い。上級生からたびたび殴られていた。悲しかったがどうすることもできなかった。
春になると思いだす。東京で一回だけ鮫ヤンにあった。たぶん、品川プリンスホテルだったと思う。彼はカウンターの向こうにいて、スパゲッティをつくってくれた。生意気な雰囲気はそのままだった。
それから2年後、彼の死を知った。寒い冬の夜に、道路に寝ていての凍死ということだった。悲しかったが、どうすることもできない。その知らせを聞いたのも春だった。
それから、ガンジもやはり生意気だった。ガンジは長距離ランナーだ。
「あいつの脈拍は、45しかないんだぞ」
体育の教師が驚いていた。しかし、そのガンジが膝をこわした。もう、競技選手に帰ることはできない。ガンジは学校の事務職員として東京から帰っていった。
たぶん、この3月で定年だろう。一度、熊本県庁で偶然にあった。かなり、しんどそうだった。慢性的な病気も抱えているらしい。今日は、パソコンの講習だと言っていた。ガンジの頑なな頭では、大変だっただろうと思う。もっとも、おれも人のことは言えないが。

生意気とはいいことだ、最近そう思う。生意気とは、権威に対して生意気なのだ。そんなの知るか、の世界だ。

おれは3年間、かれらとともに寮で過ごした。
そのことを少しだけ、誇りに思う。