台風の朝 3

理科室の窓からは、校庭が見える。校庭の左側は、小高い山になっていて、町並みは、右手の方に広がる。家々が立ち並ぶ上空に黒っぽい点々が見える。こんな暴風雨の中、カラスが飛んでいるとは思えない。
トリサキ先生がおれのとなりに立った。
「カワラだ。カワラが空を飛んでいる」
タナカ先生も来た。イクオとモモコも来た。いたずら小僧が1000人もいて、てんでに小石を投げているみたいだ。
「窓ガラスはたまったもんじゃないな。ガラスだけじゃない。これはそうとうの被害になるぞ。タナカ先生の部屋は何階ですか」
「5階ですけど」
「ベランダの窓はどちら向きですか」
「えっと、朝陽が昇ってくる方だから、東」
「なら、だいじょうぶです。おい、シゲル」
シゲルというのがおれの名前だ。
「風の方向が分かるように描いてくれ。木の枝がどっちへたわむか、雲はどっちへ流れているか、あ、それから目印も一緒に描き入れてくれ」
「アイ、アイ、サー」
おれは、トリサキ先生をまねて答えた。
「今、955です」
イクオが少し緊張した声で伝えた。
「中心は近い。‘赤い木の実’は、近づいている、猛烈な勢力とスピードで」
「わたし、みんなと一緒でよかった」
タナカ先生がぽつりと言った。
「トリサキ先生と一緒でよかった、じゃないですか」
気圧計を見ていたイクオが顔を上げて言った。まったく、ませた口をきく。
「戦の前の腹ごしらえといくか。今のうちに昼飯にしよう」
「お湯を沸かします」
タナカ先生は、理科室に備え付けの4リットル入りのヤカンに水を満たして、ガス台に置く。
「多すぎる。そんなにいっぱいお湯を沸かしたら時間がいくらあってもたりない。一人当たり200CCとして、1リットルあれば充分です」
タナカ先生は、髪をかきむしろうとして、やめた。
こんなんでこの二人、やっていけるんかな。


「中心はすぐそこです」
モモコがうらがえった声で言う。
すぐそこ、だなんて、近所の魚屋みたいじゃないか。
空がすこし明るくなった。
青空が見えた。風がおさまっている。
「先生、950をきりました」
「台風の目だ。よし、おもてに出よう」
校庭は、無数の落ち葉で埋めつくされている。大きな木の枝もある。
おれたちは、今、‘赤い木の実’の中心にいる。
トリサキ先生が、タナカ先生に向き直った。シャンと背筋を伸ばして。
「タナカ先生、これから先、ぼくと一緒に歩いてもらえませんか」
これって、プロポーズの言葉だよな。


タナカ先生は、青い空を見上げた。‘赤い木の実’の真ん中。涙が光った。
タナカ先生は、それから、ゆっくりうなずいた。