「壊れ物としての人間」

3月11日の東日本大震災の後、ずっと以前に読んだ大江健三郎のエッセイを思い出していました。彼はそのエッセイの中で、人間にはfragile(=壊れ物)という札が貼ってあるのだといいます。限りなくあやうく、もろいものとしての人間の存在。


天草では年に二回、春と秋に「陶芸祭り」が開かれます。窯元はそれぞれ自分の工房で出来上がった作品を展示・販売します。
五月の連休が春の陶芸祭りです。今年は四つの窯元を回りました。写真は息峠焼(いこいとうげやき)です。
急須に目を奪われました。大きく、重く、黒く光るものが自らの存在を主張しています。
貼り付けてある小さな値札には、\15000とあります。


過ぎていく時間の中でお茶を飲む。
わたしとあなたのかけがえのない時間をこの急須が取り持ってくれるのなら、高い金額ではありません。
fragile(=壊れ物)としての人間が、その一瞬を永遠に変えることができる、たとえば魔法の道具が、この大きく、黒い急須なのかもしれないとしたら。