安定供給

だいぶ前のことだが、知り合いに「一夜干し」で商いをする男がいた。
アジの一夜干しやイカの一夜干しを売るのだが、ここ天草産の物はほとんどなかった。
その理由について、彼はこう言うのだった。
「いいかい。お客さんは、このあいだ買ったアジの干物はうまかった。今日もまた、買って帰りたいという。そんなお客に、今はアジの時期ではありませんからアジの干物はないんですと言えるか。要は安定供給だよ」
彼はあらゆるところから仕入れた。店にはいつも、アジやサバ、イカの干物が並んでいた。ぼくは、どこかおかしいと思っていた。この店の客は、ほとんどが観光客だ。彼らは天草のお土産として干物を買って帰るのだ。彼の行為は、厳密にいえば、詐欺だ。

 
電力会社は、電気の安定供給という。そのためには、地球温暖化防止のためにもCO2を出さない原子力発電の推進が求められる、と。
はたして、そうか。
地球温暖化とCO2の関係は、世界的にも議論の途上にある。ある物理学者は、地球の気温は一万年、十万年という周期で変動している。たしかに、産業革命以後、人間の活動による気温の上昇はある。しかし、その主因がCO2であるとの認識にはくみし難い。


次にダムの話だ。
水の安定供給のためにはダムが必要で、だからダムをつくるのだという。ここでも安定供給だ。蛇口をひねるといつでも水が出る。干ばつのとき、川の水が干上がっても水を安定して確保するためにダムは必要だ、と。

 
2011年3月11日の東北地方を中心に襲った地震津波、さらには原子力発電所の損壊は、安定供給とは何かを示してくれる。
「いつも笑っていなさい」が、不可能であることをわたしたちは知っている。不老長寿の霊薬がないことも知っている。わたしたちは、日々笑い、悲しみ、苦しみ、喜び、生きている。わたしたちの存在は、たよりなく、不安定で、宙ぶらりんで、風の一吹きで倒れてしまう。
新しい価値と、生と死の哲学を模索すべき時だと思う。
「限りなく不安定」を引き受けて。