海と人間

久しぶりに海へ行った。半年ぶりになるのかもしれない。
去年の12月から、海へと足が向かなかった。3月11日を予感したわけではないが、海との間に「会話」が成り立たなくなったことは事実だ。
海との会話とは何か。知り合いの漁師は、「海は裏切らない」といった。この場合の裏切らないは、我々人間が海を大事にすれば海はそれにこたえてくれる、という意味だろう。
ぼくは釣り名人と呼ばれる。
名人は海と会話し、海の心をよむ。その海との会話が去年から途切れていた。
今日は旧歴の3月15日。満月で、大潮の日だ。
半年ぶりに、ぼくは海へと向かった。




海と人間


たとえば
これから百年のあいだ
東北の子どもたちは海に近づかないだろう
子どもが大人になり
彼らの子どもが家族を持っても
じいさんは海の怖さを語る
この先
海は限りなく恐ろしいものとして語り継がれるだろう


海は立ち上がって防波堤を超え
町をのみこんだ
どんな怪獣よりも強大で
どんな悪魔よりも残忍で
悲しみや絶望さえも奪っていった


あぁ 海よ
人間とともにある海よ
そのように凶暴になる理由はなんだ