アサリが世界をつなぐわけ

「寛容」ということを思っていました。

「寛容は、非寛容に対してもなお寛容たりえるか」と戦後の日本で発言したのは、フランス文学者の渡辺一夫でした。
それからまた月日が経って、地上は非寛容の嵐が吹き荒れています。

3,4年前にアサリの生息調査に加わったことがあります。
アサリはところどころに少数ながらなお生息していました。
そして、アサリを掘っていると必ずツメタガイも掘り当てます。このツメタガイ(地元ではマルガイとよんでいます)、アサリの殻に小さな穴を開けて、そこから中身を食べているようなのです。実際、干潟には穴の開いたアサリの貝殻がたくさんあります。
そこで、次の詩です。


  アサリ

ついに 絶滅ですか
丸っこくて それぞれが
独自の紋様をもち
干潟の いたるところに生息し
小さな水管を伸ばしては 海と交信し
海の嘆きを かがやく砂粒にかえ
自らをふくむ海と 外の世界を案じていた
あのアサリが絶滅ですか


チゴガニオサガニ
ハクセンシオマネキを見守り
自らを殺しに忍び寄る
あのツメタガイさえも愛し
二つに分かれた世界を
けなげな努力でつないでいた
あのアサリが 絶滅ですか


残念ながら
六月にいつものアサリの産卵はありません
七月にも八月にも
アサリの幼生が海を泳ぐことはありません


わたしたちは思い知ることになるでしょう
世界は 暴力と力が支配し
命の悲しみやよろこびは
砂粒の一つにもなりえないことを