蛾の重さ
夕べ、どこからともなく蛾が舞い降りてきた。
蛾は、羽を震わせている。なにかを必死で訴えているようでもある。
なんだろう?なにを伝えようとしているのだろう?
そういえば、以前書いた虫の詩があったな、と思った。
詩集『見えないところで』より
遊ぼうと思っただけ
遊ぼうと思っただけなのに
あなたはわたしを叩いた
顔の周りを飛ぶのは 親愛の挨拶
わたしは この世界について
わたしの知っていることを 伝えたかっただけ
わたしはあなたを選んだ
でも あなたはわたしを選ばなかった
あなたの一撃でわたしは窓まで飛ばされ
羽の片方が折れてしまった
遊ぼうと思っただけなのに
今日の暑さと明日の朝露の話を
あなたとしてみたかっただけ
ただ 夜になって
灯りのもとに歩み出たわたしを
あなたはそっと手のひらにのせた
それで わたしは伝えることができた
わたしはあなたと遊ぼうと思っただけ
クワガタムシのばか力
水が入った洗面器にクワガタムシがはまって出れないでいた。
この洗面器、包丁を研いだり、ナイフを研いだりするために常時水が張ってある。
ぼくは、人差し指をクワガタムシのお腹のあたりに差し入れて、そっと持ち上げた。
その瞬間、クワガタの角が、ぼくの人差し指をはさんだ。はさむ力がだんだん強くなっていく。握力測定を思い出してほしい。中学時代の記憶では、右が30㎏、左が25㎏だったと思う。クワガタの角は5から10、10から15㎏と強くなっていく。あわてて引き離そうとしたが、脚が、これまた、人差し指をしっかり捕まえていて、こちらも相当の力だ。やっとのことで引き離した。人差し指の先端からは、血が流れた。
それにしても、なんという力だ。
こんなのが100匹も集まって力を合わせたら、かなりの大木でもへし折ってしまうのではないか。
人差し指に絆創膏を巻きながら、なぜか、山本太郎を思った。
楽しいことを考えよう
11月の大陶磁器展への出展締め切りが、明日10日に迫った。
応募用紙には作品の写真添付の欄があって、今日、この写真を撮ったところです。
それにしても、と思います。
朝がくるのが待ちどうしくて、わくわくして起きたことが何回あっただろう、と思います。67年の人生の中でです。
それで、例えば『天草アートフェス』みたいな企画は考えられないかと、悶々としています。
場所は、例えば廃校になった学校です。
出来れば来年4月。
産直の野菜があってもいいし、おでんや焼き鳥があってもいい。このあいだ「山野草を食べる」というイベントをやりましたが、春だと野草の天ぷらがあってもいい。
コンセプトは、「アートで生きよう」。
なんかできないものかと考えています。
虫の季節
5月になった。
命輝く新緑の季節だが、すでに虫に二回刺された。
最初は右手の小指の先。外で作業するために手袋をつけた。ヤツは手袋の中の小指の先にいた。多分、蟻だと思うが姿は確認していない。見る間に右手の甲がグローブのようになった。それは夕方までにはもっと広がって、肩から下の右手全体が腫れた。
それから10日ほどして、今度はムカデに同じ右手の人差し指をやられた。
右手の甲は再びグローブ状態になった。
ムカデに関しては油断があった。風呂を洗おうと蓋をとったら蓋の下の浴槽に張り付いていた。そいつをピンセットでつまんでカミさんに見せた。
「ほら、こんなのがいたよ」
そして引き返そうとした瞬間、そいつは頭を振って人差し指をかんだ。カミさんが飛んできてムカデをスリッパでたたいた。かまれた指には血が丸くあふれた。
前途多難の予感がする。