雲母
岩石の種類の一つで「雲母」というのをご存じだろうか。
薄い層が積み重なって、一つの岩石を作っているものだ。
その薄い層の一枚には、10年、100年が凝縮される。それは、100万、1000万の命であるのかもしれない。
わたしたちは、人とは何か、と問い続けてきた。哲学の問題でもあり、宗教の問題でもある。答えは出ているのかもしれないが、いまだ、広く共有されてはいない。
間もなく、平成から令和へと変わるという。
雲母の層の一枚が加わる。
イチミサンザン
なに、今日の夕方いつものスーパーでの買い物です。
今夜の夕食のカレーのルーとカミさんのためのヨーグルトとビスケットを買ってレジに行ったら、1333円です、といわれ、おもわず「イチミサンザン」ですか、と言ってしまったのでした。レジのおばさんはポカンとしていました。
あわてて付け加えました。
「あの、昔、語呂合わせで年代を覚えませんでしたか」
「イチミサンザンは、1333年で鎌倉幕府の滅亡とか、イシクニ(1492)見つけたコロンブスとか」
レジのおばさんはまだキョトンとしています。
「いやぁロッパ(1868)くん、明治だね、はどうです?」
レジのおばさんは、もう、泣きそうな顔をしています。
「あ、すみません。イチミサンザンは、アベ一味のことだったんですけど。今はわからなくてもいいです。来年になったら分かると思いますので、多分」
そーっと、スーパーを出ました。
タヌキ食堂、その後
食堂にやってくるタヌキは四匹とばかり思っていた。
ところがいつの間にか増えて、少し前から六匹になっている。
タヌキは、家族で行動するのだと聞いたことがある。一回り小さなタヌキは、子どもなのだろう。
六匹もいたんじゃ、これまでの量では足りないだろう、と思って食パンのミミ(ひと袋100円)を買ってきたところです。
今、四月。タヌキとの共存は、しばらく続きそうです。
ヤモリ見参
今日、ヤモリが現れた。
朝の気温は10℃以下だが、日中は20℃近くになる。
ヤモリにとっての長い夜が明けた。
では、ヒトにとっての長い夜はいつ明けるのだろう。
もう、100年も200年も私たちは明けることのない夜の中にいるように思える。
光の中へとヒトが出ていくとき、そこにはどんな光景が広がっているのだろう。
談合島
集まって話し合うことを談合という。
その昔、この地方では一揆があった。島原・天草のキリシタンの乱とも一揆ともいわれる。1637年のことだ。
そのさいに島原方と天草方が集まって協議をした。この島は天草、島原の中間点に浮かぶ。父親の世代までは、この島のことを「談合島」と呼んでいた。で、子どもたちは「ダンゴ島」。だから、子どものころぼくは、ダンゴというのは平たいものだと思っていた。
昨日は山桜を探しに千巖山へ行ったのだった。この山も父世代までは「テシャクシ山」と呼ばれていた。テシャクはテジャクのことで、手酌のことだ。自分の盃に酒を注ぐ。そうして一揆勢は出発したのだと。
今日は「頌徳祭」。
20人ちょっとが頌徳碑の周りに集まった。マイクを持っているのは、中島真一郎。大学を出て中華料理店でバイトをしながら苓北に通ったと。そのころから40年が過ぎようとしている。
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止まる
3,4日の間、壁の同じ場所にとまっていた蛾が床に落ちていた。
拾って写真を撮った。
動き始めたばかりの春の中、止まってしまった命を思う。
わたしたちは、命のつながりについて何も知らない。
そのことを恥ずかしいと思う。
せめて今夜は止まってしまった命に、黙とう。