アリとキリギリス


 生産性とか経済性とかに特に疑問を覚えるこの頃です。
 思えば、生まれてこの方、ずっと 不器用でぎこちない生き方をしてきました。カミさんには、ほんとすまないと
思います。
 今日は一日冷たい雨が降る寒い日で、軒下の作業場も使えません。
 古い文章をひっくり返していました。
 10年前のものです。

 

イソップ物語にこの話があります。
実はずっと気にかかっていました。
私の中では、キリギリスのことが気になっていたのです。
夏の間、せっせと働き続けたアリと、歌を歌って過ごしたキリギリス。
アリは寒い冬のために食べ物を蓄えます。一方、キリギリスは歌三昧の日を過ごします。
さて、冬が来て・・・という話しです。
つまり、「私はアリか、それともキリギリスか」という問題です。
私は、どこからみても、アリではありません。
どちらかといえば、キリギリスに近いだろうと思います。
それで、キリギリスが役立たずの甲斐性なしといわれることに、幼いころから抵抗があったのです。

イソップそのものは紀元前の話です。
16世紀、ここ天草では、「伊曾保物語」が活版印刷されています。遣欧少年使節団が持ち帰ったとされるグーテンベルク(?)の印刷機です。天草にはコレジオ(大学)がありました。

世界のあちこちでイソップの種はまかれました。

キリギリスの復権につながる話を一つ。
フランスの場合は、こうです。
歌を歌い続けたキリギリスは、たいそう、歌が上手になりました。
その歌に感動したアリは、食べ物をキリギリスに分けてあげました。

どうでしょう?