カミさん、大阪へ行く


関西芸術座の新屋英子さんが亡くなって一年が経つ。
明日、大阪のホテルで『偲ぶ会』が開かれる。カミさんはこれに参加するために今日、大阪に向かった。三角駅発12時32分。夕方、ホテルに着いたと連絡があった。ホテルの17階で、大阪の街並みの向こうに沈む夕日を見ながら電話していると。


新屋さんは、天草にも来てくれた。一人芝居、演目は『身世打鈴』。在日ハルモニの身の上話の意味だ。

新屋さんとの出会いは、埼玉でだった。
1979年、在日3世の林賢一君の自殺がきっかけになって、市民が動き始めた。ぼくは20代後半で、娘は1歳だった。韓国、朝鮮、そして在日のことを何も知らなかった。そんな運動の中で新屋さんと出会ったのだった。

まもなくぼくは、賢一君のお父さんの東八郎さんがやっていた「東邦クリーン」という清掃会社を手伝い始めた。開店前の喫茶店やレストランの掃除、マンションの階段の掃除など、約一年続いた。どこかで、賢一君をいじめて自殺にまで追い込んだ日本人に代わってあやまっているという気持ちもあった。

さて、カミさんは大阪のホテルで何を考えて眠るのだろう。