暑い!


 まさしく、うだるように熱い。
 この山の家でも相当に暑い。
 
 そういえば以前にも暑い日があって、あの時は『レストラン・クロスケ』を書いていたっけ。ここではなく、街中の家だった。
 

暑い。どこもかしこも暑い。
太陽ってえのは、容赦を知らないらしい。
港があり、フエリー乗り場があり、道路をはさんでパチンコ屋があり、交番がある。
その交番の向かい側、パチンコ屋のわきに細い階段があって、そこに猫が冷たい水を盆にのせて立っている。
全身真っ黒でこの眼付き、見覚えがある。
「クロスケじゃないのか」
「三代目クロスケでございます」
「二代目はどうした」
「店内でウェイターをしています」
「じゃあ、初代は」
「厨房で料理を作っています」
「立派にやっているんだなあ。おれに比べるとずっと立派だ」
「噂をしておりました」
「おれのか」
「はい。魚は釣れているんだろうか。母さんとはうまくいっているんだろうかと」
「心配かけて申し訳ない」
「どうぞ、ゆっくりしていってください。あ、その前にこの秤に財布をのせてください。この店の決め事
なもんで」
言われたとおりに財布をのせた。青い光がさっと財布を通り過ぎた。821という緑の数字が点滅している。おれの全財産だ。
「どうぞ、お入りください」
おれのあとで三代目クロスケの持つ冷たい水にひかれて、三人連れが足をとめた。
「ここは飯が食えるのかね」
背の高い眼鏡の男が聞いた。
「はい。そのためのお店です」
三代目クロスケは、きっぱりと、それでいて丁寧に言った。
「では、入ろう」
眼鏡の男は連れの二人をうながした。
「その前に」とクロスケ。「お持ちの財布をこの秤にのせてください」
「おもしろい店だな。財布の中身がどう関係するんだ」
「上の看板をご覧ください」とクロスケ。堂々としている。
木製の看板には、「レストラン・クロスケ」とある。前と後ろに猫の足形だか手形だかが朱色に輝いている。そして、アーチ形に描かれた「レストラン・クロスケ」の文字の下には、「貧乏なもののための」とある。
「おれは貧乏でも金持ちでもないと思うが」
「それはこちらで判断します」
クロスケはきっぱりと言う。
「わかった。財布をのせればいいんだな」
「ありがとうございます」とクロスケ。
青い光がさっと通り過ぎる。緑の数字が点滅する。
「37552」
「一万円札が三枚あります。当店で食事されるなら、一万円札をこちらの屑かごにお入れください」
「おい、一万円札を屑かごに入れろだと。それで、その一万円札、帰る時に返してくれるんだろうな」
「そうですね。運がよければ」
「おい、どうする」眼鏡男は、振り返って仲間の意見を求めた。
「おもしろいじゃない」とちょび髭の男が言う。
「おれはいやだね」
額が広くて顎のとがった男が言う。「第一、一万円札を屑かごに入れろ、とはどうかしてる。どうしてもというのなら、貸金庫に入れるべきじゃないのか」
「多数決で決めよう。おれは入ってみる」
「おれも」とちょび髭。
「二対一じゃしょうがないな」
ちょび髭が秤に財布を置いた。
「19870」
続いて顎のとがった男が置いた。
「126560」
なるほど。こだわるわけだ。
「階段の中央はせまくなっております。ご注意ください」とクロスケ。
「なんでせまくなっているんだい」
「狭い門より入れ、ですよ」
さっぱりとクロスケが答える。
店内はカウンターと丸いテーブルが五つ。隅のテーブルで、猫の親子がパンをちぎりながらシチューを食っている。二代目クロスケがやってきた。
「コース料理をお勧めします。いいですね」
かなり強引だ。
「高いんじゃないのか」
「そんなことはありません」
「突然いなくなったんで心配したんだぞ」
「すみません。急に初代に呼ばれまして」
「元気ならいいけど」
初代クロスケが厨房から顔だけ出してウィンクした。おれは片手をあげた。

前菜は青い小さな皿に盛られた「海ブドウ」だ。はじめて食べる。プチプチしていてかすかに磯の香りがする。うん、いい味だ。
「コッコ鯛のスープです」
スプーンで一口飲んでみる。香ばしい。
「これは」
「一度焼いたものを昆布と煮出したものです」
「うーん」というしかない。絶妙なのだ。料理はバランスだと思っている。二つのもののバランスはとりやすい。しかし、三つ、四つと増えていく素材のバランスをとるのは、至難の業だ。
「あなたから教わったと、初代は言っていました」
「うそだろう。おれは教えた覚えはないぞ。鍋に残ったものをなめたりはしたかもしれんが」
「たぶん、それだろうと思います。猫の舌には想像力があって、その味の源泉までさかのぼることができるのです。その想像力は、今日はこんな料理を食べてもらおうと思う作り手の思いにまでも及びます」
「まいった」
「これはボーボー鳥のシチューです。フランスパンと一緒に召し上がってください」
「こっちはまだかな」
さっきの三人連れだ。
「お待たせしました。ボーボー鳥の頭と足のグラタンです」
「なんだい、そのボーボー鳥っていうのは」と眼鏡の男。
「ダチョウを想い描いてください。次にそのダチョウを鶏の大きさまで縮めてください。それが、ボ−ボー鳥です」
初代がカウンターの上に三つの皿を並べた。
「それにしても妙な名前だ」とちょび髭。
「はい。空を見上げてボーとしているからとか、鳴き声がボーボーと聞こえるからとか言われております」
二代目クロスケの説明はよどみがない。
「それにしても」ととがった顎の男。「頭とか足とかばっかりで、かんじんの肉はいつ出てくるのかな」
「ホロホロに煮込んであります。召し上がってみてください」
「オウ」
ちょび髭が感嘆の声を上げる。「こんなグラタン食ったことないぞ」
「どれどれ」と二人もグラタンを口に運ぶ。あとは沈黙。三人とも黙々と食べる。
「おかわり」
真っ先に食べ終わったちょび髭が、クロスケに催促する。
「おれも、おかわりをたのむ」
「おれも、もう一皿」
初代がカウンターに三つの皿を置く。おれと目があって、ウィンク。あいつ、大分貫禄が出てきたじゃないか。
いつの間にかレジのカウンターにおばさん猫がいる。どっかで見た顔だが思い出せない。耳はピンととんがっているし、口元にも愛嬌がある。ただ、目じりが下がっているのが気になる。
「デザートです」クロスケが透明なガラスのコップを置いた。
コップの中身は琥珀色だ。
「ゼリーです」とクロスケ。
「この丸いつぶつぶはなんだ」
「カエルの卵です。二月に初代が冷たい池で獲って冷凍保存していたものです」
三人連れにも同じものが配られた。三人とも、もう、何を聞くわけでもなく「うまい、うまい」と食っている。
「いやあ、食った。よく食った」
眼鏡男が言うと、あとの二人も大きくうなづいた。
「勘定はあそこのおばさんでいいのかな」
「今、請求書をお持ちします」
クロスケはレジから三枚の紙を持ってきた。
「おや、まあ」
「冗談」
「ほんとにこれでいいの」
三人が三様に驚いている。
「あれだけ食って、三百円だって」
自動販売機で買うお茶だって百五十円はする時代だぞ」
「信じられん。おれは夢を見ているのか」
「夢ではありません」
初代が厨房からのっそり出てきた。「このコース料理は、一人前が百五十円です。でも、その百五十円さえ払えないものがいることを時々でいいから思い出してください。今日の料理の味と一緒に」
「わかりました」
眼鏡男が頭を下げた。
「こんな料理を食った後では、厳粛な気分になるよな」
とがった顎の男もうなづいた。
「さ、レジを済まそう。おれが持つ」
「なんか、さわやかな気分だな。どうしてだろう」
ちょび髭が首をかしげている。
「いいことをしたからですよ」
クロスケが脇からほほ笑む。
「ところで、屑かごの一万円札はどうなった」
レジのおばさん猫が笑いだした。思った通りだ。

「オホホホホ。アハハハハ。ついさっき、燃えるごみの収集車が来てね、ハハハハハ、
みんな持って行っちまったよ。オホホホホ。今頃はボーボーと燃えてるだろうね」
クロスケが耳元でささやいた。

「大丈夫。回収してあります」