本戸城の怪


時間が経つにつれて不思議に思われることがある。

2008年、12月、カミさんは本戸城の、かっての二の丸があった場所で「お京の方」の一人語りをやった。
今から6年前のことだ。12月の半ばのよく晴れた寒い夜だった。ぼくは、舞台設営と焚火係だった。

お京の方というのは、430年前、本戸城の主であった木山弾正の奥方である。


「1589年、天正17年、11月21日。

小西、加藤の両軍はこの城山に攻め上った。

木山弾正はすでに討ち死。

志岐城は落城。

そして、この日、小西・加藤の両軍は我先にと本戸城へと押し寄せる。
大筒の炸裂する音、硝煙と硫黄の臭い、甲冑の触れ合う音がこだまする。

この時の様子を宣教師ルイス・フロイスの『日本史』はこう伝える。」

「その日行なわれた攻撃はあまりに頻繁であり、城中の人々は、労苦、および連日に渡る徹夜のために疲労困憊し、ついに敵は城壁の一辺を壊すにいたった・・・。

 戦局がこのような状態にあって、すでに極度の危険に瀕していた時に、籠城していた婦人たちは驚嘆すべき行動を示した。それは日本において長年にわたり、崇高な行為、また偉大な賛辞に価するものとして語り伝えられることだろう。

それは次のようであった・・・。

城主ドン・アンドレとドン・ジョルジの妻女、およびその娘や息子の嫁たち、またその他の貴婦人たちは、すでに自分たちの夫や親族のあるものは傷つき疲労し、また他のものは戦死を遂げてしまい、もはや人間的に救われる道はなく、しかも武器を手にして対処するしかないことを知ると、三百人ばかりの婦人たちは集合し、自分たちが直面している切迫した危険を明白に認め、女性としての本来の弱体と臆病さを忘れ、勇敢な女侍のように全員が一丸となって戦局を盛り返し、自ら力の限りを尽くして敵に抵抗しようと決意した・・・。」

フロイスは続ける。

「彼女たちはその目的で武装し、すでに疲労し負傷している息子や夫たちの前方に進み出て、死ぬまで戦い、あるいは敵から勝利を勝ち取ろうと健気にも覚悟した。かくして彼女たちはほとんど全員がすでに告白をすませ、娘であると既婚者であると寡婦であるとを問わず、より自由に、妨げられず戦えるようにと全員が髪を断ち切り、その長衣が邪魔にならぬようにと、慎み深く裾を必要なだけからげた。あるものは鎧をまとい、他のものは太刀を帯び、またあるものは槍とか、その場で入手できた種々の武器でおのおの身を固めた。大勢のものが冑をかぶり、コンタツのロザリオや聖遺物を頸にかけた。彼女たちの多くは、泣きじゃくり涙にくれる乳飲み子や子供たちを家に残していたが、母性愛をも忘れ、全員は挙ってイエズスの御名を唱えながら、勇猛心を奮い起こし、最大の激戦が展開している戦場を目指してまっしぐらに突入した・・・。」

この時だった。
かって、本戸城があった方角から何とも異様な音が聞こえてきた。
二の丸と城とは、直線距離で100メートルくらいだ。
「ゥオオォォオオー」と聞こえた。あきらかに城があったあたりの上空からその音は聞こえた。
最初、ぼくは木を切るチェンソーの音かと思った。強くなったり弱くなったりして聞こえる音が、チェンソーの音に聞こえたのだった。
しかし、12月の寒い夜にだれがチェンソーなどを使うのだ?

この時の一部始終は、インターネットテレビである『天草テレビ』の金子さんが録画していた。
「声が入っとるとですよ」
翌日、カミさんに金子さんから電話があった。

この声は、聞いた人と聞かなかった人がいるらしい。
しかし、『天草テレビ』のアーカイブにはしっかり残されている。
一度、確認してもらいたいが、『天草テレビ』は会員制なのだ。
イヤホンで聞くとはっきりわかると、カミさんは言っていた。