祇園橋



天草の中心部に本渡という町がある。その昔は、「本戸」と表記したらしい。祇園橋は、その本渡町の、さらに中心にある。
国指定の重要文化財でもある。なんでも、実際に流れている川に架かる石橋では日本一の長さらしい。

話はここから始まる。

先日、郷土史家の鶴田文史さん宅で小さな会合があった。
集まったのは僕も入れて七人。
「ひどい話が進んどるとですよ」と文史さん。
そう言って一枚の図面をみんなに配った。それによると、熊本県の河川課は、祇園橋を迂回する河川改修を計画しているとのこと。祗園橋周辺は乾陸化して、公園にする。
「一体、何のために?」
「洪水対策と祇園橋保護のため、と書いてあります」」と文史さん。
「保護と言ったって、床の間の飾りじゃあるまいし、流れ川に架かっていて初めて『重文』でしょ。それに真っ直ぐな川をわざわざ蛇行させるなんて、洪水を誘発するようなもんじゃないですか」
こう言ったのは、『天草歴史文化遺産の会』の池田さんだ。

「重文である祗園橋の所有・管理の権限は天草市にあるんでしょ。だったら、我々のやることは天草市に働きかけて、県の計画に対して承認しないようにしていくことです」
市民オンブズマンの中田さん。

文史さんの自宅は、祇園橋のたもとにある。
「祗園橋の架かっているところを見てください。石垣が違うでしょう。これは野面積み(のづらづみ)といって、江戸時代の工法です。すぐ隣は違うでしょう。こちらは平積みといい、明治以降のものです」


祗園橋は、180年の年月を耐えた。
「私から数えて四代前の先祖が、この橋の建設にかかわっています。この石の標柱にその名が刻まれています。四代前は、紙問屋でした」

「ところで」と僕は聞いてみた。
「天草でなぜ祇園橋なんですか」
「ああ、それは」と、文史さんが答える。
祇園社の本山は京都です。江戸時代、全国津々浦々に祇園社ができました。それが、明治になって、祇園社は、八坂神社と改称させられたのです。でも、ここは祇園社として残った。川を越えて祇園様に行く橋だから、祇園橋」

今月24日が、県の説明会です。