定念

むかし、定念(じょうねん)という坊さんがいました。
彼の言葉が、たった一つ残っています。
「我、あらずんば、一切、無なり」
自分がいるからこの世界はあり、自分がいなくなれば世界もなくなる。そんな意味だと思います。
デカルトの、「我思う、ゆえに我あり」を思い出しました。
しかし、この二つの言葉には、相当の乖離があるように思います。
「一切が無なり」という定念と、「我あり」と結ぶデカルトとの視線のちがいとでもいいますか、そもそもの立ち位置の違いといいますか、簡単ではないようです。