空想と現実

むかし、むかし、ロシアの小説家ドストエフスキイは、こういったそうです。
「空想的なものほど、現実的なものはない」
大学でのロシア文学の講義の時です。ロシア文学の講師は続けます。
この世界の理想を求めて走る若い青年に、もっと現実を見るようにと、この世界はお金ですべてが動いているのだから、と現実主義者の男が言います。
しかし、ドストエフスキイは、どちらも空想だ、といいます。理想主義も、現実主義もどちらも同じ空想だというのです。
「そう、どちらも空想です。しかし、この空想こそが、将来をつくります。つまり、現実になるのです」


今夜、母親と息子が話しこんでいます。
来年の四月の後半にも、「わたしたちの芝居」の公演ができたらいいね。
天草には、27年続いてきた素人の演劇集団があって、毎年今頃の時期に、市民センターのハレの舞台で上演するのです。
今年の出しものの脚本を書き、演出をしたのは息子でした。公演は、はた目には成功したように見えました。
でも、内実はあちこちでポロポロくずれる泥人形を必死で押さえながら、やっと公演にこぎつけたものでした。
もう、いい。彼は思っています。そこで、「わたしたちの芝居」を想い描いたのです。
たしかに、想い描くこと、空想することからしか何ものも生まれません。


今夜の空想が現実になる日を待ちます。