竜宮の話

 二人の男が防波堤でしゃべっています。
 夏の、日陰も何もない防波堤の上は、灼熱の地獄のような暑さです。
 一人の男がいっしょうけんめいに説明しているようです。

「・・・あのなあ、入り江全体が桜色や。夕日にはまだ早い。不思議なこともあるもんや、と思ってると、ぷくん、ぷくんとあぶくが浮いてきた。そしたらそのあぶくから声が聞こえるんや。
(ああ、しばらく地上ともお別れだな)
あぶくがそういいよる。それから、
(この次は千年後かな)
わしな、思い切ってあぶくに聞いてみた。あんた、だれや。
すると、あぶくが答えた。
(鯛や)
鯛って、あの、魚の鯛か?
(イエス
鯛がなんでしゃべるんや。
(鯛は鯛でも鯛のスピリッツや。わしはあんさんのボキャブラリーに直接、話しかけてます。それにしても、あんさんのボキャブラリーは貧弱ですな)
よけいなお世話や。
しかし、鯛からボキャブラリー言われるとはおもわなんだ。これは夢か。
(ハ、ハ、夢と思うなら竜宮へお連れしようか)
竜宮は亀に乗って行くもんじゃないのか。
(竜宮への道はいろいろある。あんさんはわしを見つけて、声をかけてくれた。それだけで竜宮への無料パスポートは成立した。竜宮へ行くか行かぬか、それは、あんさんの自由意志や。もしも、行ってみたいと思ったら、いいか、わしの言葉が終わったら、大きく息を吸ってそれをゴクンと呑み込むのだ。それが、承諾の合図だ)
息をつめて鯛の言葉を聞いていたわしは、息を吸って飲みこむしかないじゃないか。
その瞬間や。真っ暗になった。どこだかすぐに分かった。鯛の口の中だ。時間なんてもんじゃない。ほんの数秒だ。鯛はゆっくりと竜宮の門を入った。
くらくらする光景の向うに乙姫さんがいた。
(ようこそ。おこしやす)
「おい、まて。さっきから聞いてると関西弁がやたら多いが。しかも、乙姫さんは、京都の舞妓さんの口調じゃないか。」
「気にすな。そんなことより、もっと大事なことを乙姫さんはいったんや。」
「ほう、大事なこと、か」
「ウラシマ暦、や」
「なんじゃい、そのウラシマ暦っていうのは」
「昔、昔、ウラシマは竜宮へ来た。ところが、2泊3日して帰るともとの世界は一変していた」
「2泊3日なんて、修学旅行みたいだな」
「そおや。ところがその2泊3日が問題だったんや。ウラシマ暦ではな、竜宮の一日はこっちの100年にあたる。そやさかい、2泊3日は、ざっと250年というわけや」
「なんか怖いな。それで、きみは何泊したんだ」
「3泊4日」
「すると、ざっと、350年、か。でも、変わらんな。そっか、玉手箱だ。乙姫さんからなんかもらってきただろ」
「これのことか。開けてみたろか」
「待て、待て、ちょっと、待て。開けたら白い煙がぱっとでる。すると、一気に350年後の世界だ。きみはいい。なんせ、竜宮へ行って乙姫さんに会ったんだから。けど、ぼくはきみのそばにいたというだけで、完全に巻き添えだ」
「あの、聞きますけどな。生きていてなんぞ楽しいことがありますか。希望はありますか。朝、ぱっと起きられますか。リンゴがかじれますか」
「歯磨きの宣伝みたいだな」
「つまりな、きみの人生のゴールはもう、見え見えやんか」
「わ、分かった。きみの言うとおりだ。開けてくれ。
けどな、くやしいな。せっかく乙姫さんからもらった玉手箱だ。国会へ行って、あの偉そうにしている議員たちの真ん中で開けたかったな。あるいは、北京へ行って、あの鳥の巣競技場の真ん中で開けるとかしたかったな」

「開けるの、もうちょっと待ってみるわ」