天草環境会議

天草環境会議のご案内

まもなく暑い夏がやってきます。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

天草環境会議も今年で26回目を迎えます。この間、全国で多くの人たちが支え、協力してくれました。そこから人と人とのネットワークが生まれ、広がっていきました。これこそ私たちが最も誇りに思い、共有の宝とするものです。

今、水俣病の問題は、新たな局面に入りました。苓北火電では、九電と町が一体となって石炭灰の処理に狂奔しています。
清流路木川をつぶしてダムを造る計画も進行中です。
天草に原発を、という声が、ひそひそ声から、最近では公然と大きくなっています。

私たちのつながりをもっと広め、深くしなくてはなりません。
第26回天草環境会議を、新たな決意の場としたいと思います。
皆さまの参加をお待ちします。

天草環境会議実行委員会『はえん風』一同


以下は去年の案内ですが環境会議の経緯が書かれているので載せておきます***

関係各位様

  天草環境会議25周年を迎えて、ご協力のお願い

季節の現れ方が、年々激しくなっていくようです。みなさまお変わりなくお過ごしのことと思います。
さて、私たちの環境会議も今年で25回を数えることになりました。天草の、しかも苓北という日本の最西端の地で、25年という長きにわたって続けてこられたのも、みなさまの物心両面にわたるご協力のおかげと感謝しております。
1981年8月、苓北町議会は機動隊に守られて火力発電建設同意決議を強行採決しました。これに抗議してハンストを行った「苓北町民の会」初代会長松本豊秋さんは急死されました。2代目会長は高戸勇(故人)さんでした。孤立無援の戦いの中で高戸さんたちは、環境問題の研究者集団であった日本環境会議(宮本憲一事務局長)に協力を要請されました。
このような経緯で1984年7月6・7日、第1回天草環境会議は発足しました。
たくさんの天草を愛する学者や市民たちが、この苓北の地に集まってくれたのです。
さらに、同じ問題を共有する広島、徳島、島根、松浦、岩手からも住民運動の代表が駆けつけてくれました。
このときの報告は、『恐るべきエネルギー公害』(東研出版)として出版され、大きな反響を呼びました。
しかし、この国の裁判所は、「町民の会」が、「天草のきれいな海が汚されてしまう」という危機感から提訴した”火電差し止め訴訟“を門前払いにしました。

あれから25年が経ちました。
すでに幾人もの方々が亡くなられました。火力発電所はできましたが、この運動はそれにも勝る貴重なものを私たちに残してくれました。
羊角湾を現地調査し、河浦町で報告会を開き、問題点を明らかにしたのは第5回天草環境会議でした。そして、羊角湾干拓事業は止まったのです。
他にもゴルフ場反対や天草の自然をめぐる運動も展開していきました。多くの仲間の支えがあったからこそ、ここまでやってこられたのだと思います。同時に仲間との強固な友情のネットワークができました。
天草環境会議は、25回目を迎えます。
しかし、私たちの運動が終わったわけではありません。私たちの大きな仕事は、天草の海と山とを、次の子どもたちへつないでいくことです。
みなさまのあたたかい励ましで、第25回環境会議が大きな成果をあげられますよう、ご協力よろしくお願い申し上げます。
                        2008年6月13日
              天草環境会議実行委員会『はえん風』