とぜんなか。


とぜんなか、漢字で書くと「徒然なか」です。
高校古典の教科書で『徒然草』がでてきたとき、天草の人たちは全国のだれよりも「徒然」の意味を深いところで理解できるのだろうと思ったものでした。なにしろ、古語が、音読みではあっても今なお日常語として使われているのですから。

天草には、一人暮らしのおばあさんがたくさんいます。連れ合いには先立たれます。子どもたちは都会で働き、結婚し、家庭を持っています。
旧暦の9月15日の満月が過ぎると、夜は寒く、さびしくなります。木々の葉は色づきはじめ、柿は一日一日赤みを増します。
そんなおばあさん同士が道で顔を合わせると、
「互いに徒然なかなあ」とあいさつします。お互い一人ぽっちでさびしいもんだなあ、と声をかけあっているのです。でも、だからといって、なんとかしてくれ、といっているわけではないようです。都会にいる子どもたち家族が帰ってきて、にぎやかな毎日がまた、始まるのもそれはそれでよいのでしょうが、今のままでもかまわないようです。

「徒」は、なんにもなく、空っぽであることを意味します。
宇宙空間にただ一人いて、自身の内なる「空」を見つめている、そんなおばあさんたちの姿が想像されます。やがて、「内なる空」は、宇宙の空と同化し、消滅します。
「徒然なかなあ」と声をかけ合うおばあさんたちは、老いの不安や一人暮らしの恐怖ではなく、あるいは、それさえも空っぽであるのだといっているようなのです。